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平成30年3月4日 禁煙政策はどうあるべきか(3)

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 禁煙政策に関する論説の第 1 回では、喫煙が外部不経済(迷惑)を生み出すことを述べた。第2回では、喫煙者が嗜癖に陥るためタバコを消費しない自由が侵害されると論じた。両者の一つだけでも喫煙規制の根拠に十分になりうる。飲食店や路上を含めて、喫煙は禁止されるべきである。好ましくないことではあるが、政府がタバコの販売を合法としているならば、喫煙したい個人は他者に迷惑のかからない範囲で喫煙すべきである。以下では、今までに述べたことに対する補足をしておきたい。  喫煙と疾病との関係はまだ十分に解明されていないものもあるが、喫煙は多くの疾病の原因になることはほぼ明らかであろう。なによりも、多くの喫煙者自身が自分の体調の不具合をよく理解しているはずである。多量の痰が出たり風邪が治りにくくなったりする。こうした健康問題を引き起こす消費財は、製造や販売を禁止するのが政府の役割である。  武田邦彦氏は喫煙が癌の予防に役立つようなことをユーチューブで説いているが、喫煙には嗜癖の性質があるため、ほとんどの喫煙者は健康を害するほど喫煙してしまう。武田氏は嗜癖をどのように考えているのか、そして喫煙が健康によいのであれば何故自身は喫煙しないのかを説明していただけたら有り難い。万一ある程度の煙を吸い込むことが健康によいのであれば、タバコ以外の植物を燃やした煙を、嗜癖を起こさない程度吸い込むのでは不十分なのかも、説明していただけると有り難い。  禁煙運動はナチのしたことだ、といって禁煙運動に反対する人がいる。これは全く非論理的な主張である。ナチのしたことをすべきでないと主張する人は、呼吸も食事もしないのであろうか。ナチの人たちは、たっぷりと呼吸も食事もしていたのである。  今回の禁煙論議では、飲食店が禁煙になると来客が減少すると危惧されているようだ。しかし、すべての飲食店が禁煙になれば、来客減少の効果はほとんどないのではなかろうか。実際のところ、外国における禁煙条例の実施はレストランの売上に影響しなかったという報告がなされている。また喫煙者の支出減は非喫煙者の支出増によって埋め合わされてもいた。詳しくは下記の拙著を参照されたい。 荒井一博『喫煙と禁煙の健康経済学-タバコが明かす人間の本性』。私のホームページにて無料閲覧できます。 ご意見・ご感想をご自由にどうぞ。 ...

平成30年2月25日 禁煙政策はどうあるべきか(2)

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 喫煙の自由が個人の権利になりえない重要な要因がもう一つある。それは嗜癖という恐ろしい現象だ。一年も喫煙を続けていると、タバコの消費をやめようと思ってもやめられなくなる。体の不調などのさまざまな理由で禁煙したいという意思はあるのに、体が禁断症状を生み出し喫煙を要求するのだ。これが嗜癖の重要な特徴にほかならない。多くの喫煙者が禁煙したいと思っているにもかかわらず、それに成功しない理由は、嗜癖という現象のためである。  論理的に考えてみると、嗜癖は個人の自由を侵害するといえよう。タバコの消費をしたくないと思う個人が、その意思に反してタバコの消費を強要される状態に置かれているからだ。タバコは吸いたくないと思っても、体の中に生まれた嗜癖という「強制力」がその希望の実現を阻止するのである。これは自由が制約されている状態にほかならない。工場の吐き出す煤煙を逃れて清浄な空気を吸いたいと思っても、それができない状態と同じである。タバコを消費し続けると、タバコを消費しない自由が侵害されることになってしまうのだ。  多くの麻薬が同様な性質を持つ。そのため、強い嗜癖性を有する物質は法的に規制することが正当なのである。つまり、消費を禁止すべきなのだ。消費を個人の自由に任せたら、大多数の個人が嗜癖に陥り、立ち直ることができなくなり、社会は崩壊してしまう。自由主義者はあまり認めたくないようであるが、人間は強い嗜癖に打ち勝てるほど合理的あるいは強靭ではないのだ。  今日ではほとんどの国で麻薬の取引や消費が禁止されている。それと同様にタバコの消費も禁止されるのが好ましい。私もかつては喫煙していたが、禁煙したいと長年考えて失敗を繰り返した苦い経験がある。消費をやめたいと思ってもやめるのがきわめて困難な消費財は元々供給しないのが社会的に好ましい。個人の判断で消費を決めさせるという考えはきわめて論拠薄弱なのである。 ご意見・ご感想をご自由にどうぞ。 連絡先  kazuhiro.arai888@gmail.com 荒井一博のホームページ  http://araikazuhiro.world.coocan.jp/ 荒井一博のブログ 国内向け  https://araikazuhiro.blogspot.jp/ 海外向け  https://araikazuhir...

平成30年2月18日 禁煙政策はどうあるべきか(1)

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 東京五輪を機に公共の場での全面禁煙を実現しようという動きが、現段階では腰砕けになりそうだ。喫煙や禁煙をどう考えたらよいかについて、要点を記してみたい。基本的に重要なことは、喫煙が個人の自由として主張できる完全に正当な権利になりえないことである。  タバコの煙が漂う空間では、ほとんどの非喫煙者が強い不快感を抱く。一刻でも早くそこから逃れたいと思うだろう。そのような場で、ディナーを楽しみたいとか、午後のひとときを友人とティーでくつろぎたいと思う非喫煙者はほぼゼロである。実際のところ、喫煙者さえ他人の出したタバコの煙に対しては不快感を抱く。 経済学的に表現すれば、喫煙することによってタバコの煙を周囲の人に吸わせる喫煙者は、外部不経済を生み出しているといえる。換言すれば、喫煙者は空間を共有する人たちに不当な害を与えているのだ。これは全く正当化できない。周囲の人たちに汚水をまき散らすのを正当化できないのと同様である。  自動車が排気ガスを出すのは許容されているのに、なぜ喫煙は許容されないのか、と主張する喫煙者がいるかもしれない。厳密にいうと自動車の排気ガスも問題ではあるが、レストラン内で抱く排気ガスに対する不快感はほとんど無視できるのに、タバコの煙に対する不快感は耐え難いのである。タバコの煙は許容限度を超えているともいえよう。  以上の理由だけでも、公共の場における喫煙は規制されるべきである。さらに受動喫煙は多種類の疾病を引き起こす可能性も無視できない。特に、妊婦や特殊な体質の人たちには好ましくない影響が強く現れるであろう。  飲食店に入ろうとしてドアを開けたときにタバコの煙の臭いがすると、日本は先進国でないのかと私は感じる。日本は素晴らしい国だと外国人に感じてもらうためにも、飲食店を含む公共の場では全面禁煙にすべきであろう。禁煙に反対の論者もいるので、その論拠の問題点に後ほど触れてみたい。 ご意見・ご感想をご自由にどうぞ。 連絡先  kazuhiro.arai888@gmail.com 荒井一博のホームページ  http://araikazuhiro.world.coocan.jp/ 荒井一博のブログ 海外向け  https://araikazuhiroen.blogspot.jp/ 荒井一博のツイッター 国内向...

平成30年1月21日 日本の山は巨大資源だ

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 航空機に乗って上空から日本の国土を眺めると、そのほとんどが山であることを実感する。日本の国土の約三分の二は山地だ。しかもそのほとんどの部分は、訪れる人が極めて稀である。多数が訪れる山の観光地はほんの一部であり、地元の人々がときどき足を踏み入れる山も、山地全体から見たらほんのわずかな部分にすぎない。  日本の排他的経済水域の面積は世界第六位とかで、最近は日本人の目が海洋にも向かい始めているが、国土の三分の二に達する面積を有しながら、今まで軽視されてきた山地にも目を向けるべきである。すなわち、その有効活用を考えるべきだ。  日本の山には清流や滝があり、青々と茂った草木があり、小鳥のさえずりがある。少なからざる日本人がリュックを背負って山に入るのは、そうした自然を求めているからであろう。山歩きはそれらの人たちに、生命に満ち溢れた非日常的な景色、新鮮な森林の空気、生きていることの喜び、そして適度な運動と疲労を与えてくれる。山道が歩きやすく整備されていれば、毎週でも山歩きをしたいという人たちは多いであろう。  しかし、日本では一部を除いて山の遊歩道が十分に整備されていない。地元の人しか知らない山道が多すぎる。それらを拡張し歩きやすく整えるとともに、標識や地図を充実させ、携帯電話や GPS を山中でも使えるようにすべきだ。そうすれば多数の人たちが山を訪れるようになり、日本の山地全体が大観光地に変身する。各種の清潔な宿泊施設も完備されるであろう。  私の経験からは、ニュージーランドがある程度良好な山の遊歩道を整備していると感じた。オークランド近郊の低い山にも、また標高の高いクック山の氷河周辺にも、いくつかの遊歩道があり、普通の人たちが山歩きを楽しむことができる。 日本には広大な山地があり、植物的・地形的な多様性も大きいので、遊歩道を全国の山地一帯に張り巡らせば、質的に世界トップレベルの山歩きを楽しむことができるようになろう。もちろん、コンクリートの使用などは少なくして、自然破壊を最小限にすべきである。遊歩道の建設は高速道路の建設などと違ってローテクかつ割安であり、地元の小規模建設業者でも十分に対応できるはずだ。一日千円以下の遊歩道使用料を徴収すれば、建設費用の回収が可能かも知れない。 日本の山の魅力は世界屈指ではないかと個人的に感じている。雄大な景色を...