経済学部は必要なのか(87) よき市民が豊かな国を作り出す


よき市民が豊かな国を作り出す
個人と社会(組織・地域・国など)の関係に対する見方は、もともと日本と西欧で文化的に異なる。経済学部の学生は西欧発祥の経済学に影響されて、社会から独立した個人や社会のあり方に無関心な個人を想定する傾向が強い。それに対して伝統的な日本人は、自己と社会の有機的な関係を重視してきた。自分の行動が社会に与える影響を考えてきたのだ。
 こうした日本の伝統的な社会観のほうが社会の厚生にとって好ましい。自己利益のみを考える個人より、社会全体も考慮に入れる個人のほうが行動は多様で、社会の厚生に対する貢献の程度は大きい。日本文化の利点の一つだ。
個人を国家に置き換えると、世界全体の厚生にとっても同様なことが成立する。すなわち、すべての国は、国益だけでなく世界全体のことも考慮して対外政策を行わなければならない。国益のために外国同士を反目させる米国外交が世界の混乱を生み出してきた。国益のために事実無根のプロパガンダを行うのは正当化されようか。近年のグローバリズムは、一部の国や巨大企業を利するだけであった。国益第一主義の外交は世界全体の厚生や平和を達成できない。
西欧的個人主義の下に経済学が形成されたことは、数学的表現を容易にしたが、人類に新たな不幸を生み出したといえよう。連帯を喪失した個人からなる社会や、暴力や脅迫の支配する国際社会の形成を促進したからだ。ごく一部である支配層を除いて、このような状態に真に満足できる人間がどれほどいようか。人類を不幸にすることは学問の精神に反するが、経済学はそうした罪を犯してきたのではないのか。新自由主義の跋扈による日本社会の劣化もそれを示唆する。
第五章で指摘したように、個人主義に基礎を置く新古典派経済学は、論理的に重大な欠陥を有する。何千人という経済学者が高等数学を使って奮闘しても、自己利益第一の個人主義は正当化できない。大多数の日本人は、思いやりや温かい人間関係のある社会を望んでいるはずである。しかし、日本の有力な経済学者が、米国に憧れ新自由主義を支持し喧伝して、そうした社会の実現を阻んできた。
今日の社会の深刻な問題の多くは、新古典派経済学の欠陥に対応して、個人と社会の西欧的な関係の場に出現している。老人の孤独死、冷たい職場の雰囲気、学級崩壊、地域共同体の消失など、例は枚挙にいとまがない。日本の経済学者は、こうした問題を解決できる経済学を樹立すべきではないか。
個人と社会に有機的な関係のある文化のなかで育った日本の経済学者には、それが可能なように思われる。そうした経済学では、市場だけでなく家庭・組織・学校・地域社会などにおいても、個人がどう行動すべきかが解明されることになろう。多様な場において個人の生きる指針を提供できる経済学が形成されることになる。そのような経済学の形成に大きく寄与すれば、日本は世界の経済学界で主導的役割を果たせるはずだ。
 また、よき市民になるべき人間が学ばなければならないのは、そのような経済学であって、単純な米国的価値観に染まった現状の経済学ではない。日本学術会議幹事会の声明が主張する相対化を今日最も必要とするのは、米国的思考にほかならない。自己だけでなくそれを取り巻く全体の厚生を考慮する思考は、経済学に日本発の革命を生み出すことができよう。このような経済学を開拓したり学んだりするよき市民が、精神的のみならず物的にも豊かな国を作り出すのだ。


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(完)




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