経済学部は必要なのか(28) 勤勉で勉強好きな日本人という神話


勤勉で勉強好きな日本人という神話
 ここまでにみたように、経済学部(研究科)には不勉強な学生がきわめて多い。経済学を学ぶことに便益があるとしても、彼らは勉強しない。大学院には研究できない学生が多数いる。つまるところ、現在の経済学部は教育機能をあまり果たしていない。この事実は経済学部の存在意義を疑わせよう。現行のような経済学部は必要なさそうである。
大学生を対象としたベネッセの調査によると、「授業の予復習や課題をやる時間」が一週間に一時間未満の者は四二・九%、「大学の授業以外の自主的な勉強」の時間が一週間に一時間未満の者は五八・七%だという(ベネッセ、二〇一二)。ほぼ半数の学生が授業外でほとんど勉強していない。『ウォールストリート・ジャーナル』まで、「日本の大学生の三分の二がクラス外で週二時間以下しか勉強しない」と報告している(Obe, 2015)。これが内外に多数の難題を抱える日本国の学生の実態だ。経済学部生に限らないが、彼らがこの実態に大きく貢献しているはずである。多くの日本人が将来を悲観するのではなかろうか。ちなみに、一九三四年における文系東大生の学校外勉強時間は、一日約四時間であった(竹内、二〇〇三)。
日本学術会議幹事会声明のいう「我が国及び外国の社会、文化、歴史の理解をはじめとする人文・社会科学が提供する知識とそれらに基づいた判断力、そして批判的思考力」をもつ人材などは、今日の日本の経済学部で一人も育っていないだろう。さらに、「現代世界において次々に生起する一義的な正解の存在しない諸問題について、学際的な視点で考え、多様な見解を持つ他者との対話を通して自身の考えを深めていく力」など、いずれの経済学部生も身につけていないはずだ。不勉強な学生が「学際的な視点で考え」ることなどまず不可能である。
私が経済学の勉強を始めた一九七〇年代初期と比較すると、今日では経済学の勉強が格段にしやすい。日本語や英語の分かりやすい教科書が多数出版されている。かつては大学教師の経済学理解が不十分だったこともあって、講義や出版数の少ない教科書が分かりにくかった。今日の経済学部の学生はたいへん恵まれているにもかかわらず、ほとんど勉強しないのだ。
この事態は、今世紀に入って長期にわたり日本人横綱が生まれなかった事情と似ている。外国人力士より日本人力士のほうが圧倒的に多いし、日本人のほうが環境に恵まれているのに、二十年弱の期間に日本人横綱が誕生しなかった。その理由として角界関係者の多くが稽古量の差を指摘する。優勝五回の浅香山親方も「(日本人の)若手が全然、稽古していない。結局、外国人力士の方が稽古しているから強い」という(『日本経済新聞』二〇一六年一月二五日朝刊)。
これと好対照なことも起きている。二〇一五年のラグビー・ワールドカップ・イングランド大会で、日本は強豪南アフリカを破る大金星を挙げ、現地では「奇跡」とか「ラグビー史上最大の番狂わせ」といわれた。サモア戦と米国戦にも勝利し、日本が初めて三勝を挙げる健闘をみせたのだ。この背後には世界一といわれる練習量があった。現在の日本の野球が世界トップクラスの水準にあるのは、中高校生の段階から地区・全国大会に向けた猛練習が行われているためだ。
相撲の世界とラグビーや野球の世界との対照的な現象は、練習量という同一次元上の要因で生起している。輝かしい成果を挙げるための厳しい訓練は、スポーツだけの問題といえないはずだ。教育においても、世界一といえるほどの厳しさで学生を鍛えないと、競争の激化している世界で誇りある日本を維持できる人材は育たない。かつて日本人は勤勉で勉強好きといわれた。そうした特性が日本を経済大国にしたのだ。しかし、日本人の勤勉や勉強好きは今や神話になりつつある。今日の日本の経済的低迷と国際的地位の低下も、部分的にその結果であろう。

ベネッセ「大学生の学習・生活実態調査(第二回)」二〇一二年。
竹内洋『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化』中公新書、二〇〇三年。
http://berd.benesse.jp/koutou/research/detail1.php?id=3159
Obe, Mitsuru, “Japan Rethinks Higher Education in Skills Push,” Wall Street Journal, Aug. 2, 2015.

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