Twitter:過去のツイートの整理 (2) 2018年(b)


Twitter:過去のツイートの整理 (2)
2018年(b

英語のツイートはここに載せていません。
また、「#日本語」は同内容が私の下記ブログ「荒井一博の日本語力増強講座」にて閲覧可能なので省略しました。https://araikazuhiro.blogspot.jp/
紺色のツイートは反響の特に大きかったものです。ただし、必ずしも私が特別強調したものではありません。

#荒井一博
私の下記のブログで、「経済学部は必要なのか」の連載が始まりました。今日は「はしがき」で、経済学部教育に関する問題提起です。「である調」の文章ですが、文末が連続して「る」となっていないことにも注意されたい。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#通勤地獄
⑧混雑の軽減は社会的制度の変更によってもある程度可能だ。インターネットの発達した今日の社会では、出社日を減らし自宅で仕事することも可能だ。通勤の時間的・肉体的負担を考慮すると、そのほうが生産性の高まる場合も少なくない。時差通勤も他の方法だ。

#荒井一博
③「人社系学部は役立つのか」というとき、役立つ対象は個人と社会全体のどちらか。文科省が「社会的要請の高い分野」というとき、「社会的要請」とは何か。全く曖昧だ。私のブログの「経済学部は必要なのか:文科大臣通知と教育の便益」参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#通勤地獄
⑨通勤電車内で、立ちながらスマホやタブレットを見ている人たちが多い。彼らは前の空間を多く使うだけでなく、揺れるたびに寄りかかってきたりして迷惑だ。画面に出ているのはゲームや動画などだ。混む通勤電車の中では、目を閉じて仕事のことを考えるべきではないか。

#日本語表現
①下の写真(Figure 6)は市立図書館で本を借出すときに使う装置だ。表示に問題がなければ「【貸出】ボタンを押してください」との指示。ボタンを押す人は「貸出す」のではなく、「借出す」のではないか。ボタンは【借出】であるべきだ。日本語の書籍を集めた図書館の表現だ!

#荒井一博
④「学際的な視点で考え、多様な見解を持つ他者との対話を通して自身の考えを深めていく」グローバル人材は、今日の日本の大学で育っているのだろうか。私のブログの「経済学部は必要なのか:日本学術会議幹事会の反論」参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#学長
①ブログに「日本は衰退している(5)慶應義塾大学長の主要論文」を書きました。大学の学長は研究業績でも人格においても他の教員の模範とならなければならない。一流大学と自負する大学や教育研究の戦略的役割を担う大学においては特にそうだ。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#大学
①大学の再編が検討され始めている。日本の高等教育の最大の弱点は小規模大学の乱立だと私は考える。それぞれに強烈な個性があれば、それでもいいが。多くの日本人学生は総合大学で学んでほしい。人類の知識と知恵の重みは総合大学でなければ感じることができない。

#大学
②今日は大学の定員割れ現象が起きているので、総合大学を新設することは困難だろう。既存の小規模大学を統合して総合大学をつくるのが当面の解決策だ。首都圏の大学なら、タコ足大学の足を短くできよう。同一日における学内移動が不要な科目提供が必要だ。

#大学
③大学統合に際しては、一部のキャンパスのみで教育を行い、他の(複数の)キャンパスでは(それぞれ)スポーツ・クラブ活動・集会・(一部の)研究などを行うというように、キャンパス分業をするのもよいだろう。教育キャンパスは校舎を高層化する必要があろう。

#大学
④大学内の建築物のデザインを軽視してはならない。厳かでアカデミックな建築物であるべきだ。低い天井の教室を造ってはならない。廊下などの大きな壁には絵画を飾るべきだ。学生の作品でもよい。広場には噴水などがほしい。キャンパスの雰囲気が人格に影響する。

#大学
⑤大学のキャンパスは美しく清潔でなければならない。国立大学のキャンパスには魅力に欠けるものがある。地面に敷かれたタイルの隙間から多くの雑草が出ている。花壇であるべき所に雑草がぼうぼうだ。教室や廊下の壁に卑猥な落書きが何年間も放置されることもある。

#日本文化
①少なからざる人達が日本文化の劣化を憂慮している。職場や社会一般における人間関係の希薄化に象徴される劣化だ。先月、放送大学で「新自由主義と日本文化」について講演を行ったが、その際の質問や反応メールでそう感じた。新自由主義は日本文化を劣化させた。

#大学の業績評価
①文科省は大学教員の業績評価を強化し、それにより各教員の給与や各大学への助成額を決める方針のようだ。成果主義と同様、好業績の者や機関への支給額を高くすることには誰も反対できない。問題は業績評価を公正にすることができるかである。例で考えてみたい。

#大学の業績評価
②米国の大学で働いていたとき、著名な学術誌に何十という論文を掲載した業績のある教授に会ったことがある。だが、そのほとんどが共著論文であった。彼は研究費集めが得意で、それに専念して論文に自分の名前を載せたに過ぎない。私も声をかけられて研究のことなどを聞かれた。

#大学の業績評価
③研究資金集めが得意なために「顕著な業績」を有する教授に、大学院生を指導できようか。まさか資金集めの方法を教えるのでもあるまい。落語のような講義を行い甘い成績をつければ、学生の授業評価も高くなろう。そうした教授を雇い高給を払う必要があろうか。

#大学の業績評価
④日本の大学でも共著業績のみで新規採用されることがある。採用候補者の個人的能力を、共著だけからどう判断できようか。共同研究の会場確保やお茶くみに専念した個人かもしれない。採否は多数決なので、「仲間」が共謀すれば、そんな候補者でも採用されうる。

#大学の業績評価
⑤大学教授のなかにも、大学院生の「下請け」を活用して「業績」を挙げた者がいる。著書の各章を大学院生に分担させるのだ。教授自身が執筆にどの程度関与したかは場合によるが、学界の新しい考え方や文献、および数式などには大学院生の貢献が大きかったはずだ。

今日ではリベラルアーツ教育の必要性が高まっている。その理由の一つは、広い分野に関係し複雑化している問題が現代社会に多いことである。少子化、人工知能、原子力発電などの問題である。きわめて危険な技術が生まれつつあることも他の理由になる。ブログ参照。
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#大学の業績評価
⑥特に人文・社会科学の分野では、新規採用の審査対象となる業績のうち、共著が半分以下であるべきだろう。さもなければ能力判定が不可能。この分野では、個々の研究者が自分の世界観を形成することが最終目的で、共著ばかり書いているとそれも不可能になる。

#少子化
①今日の日本が直面する最も深刻な問題は少子化だ。日本が小国化し実質的に消滅する可能性が生じている。日本は植民地のない世界をつくり上げたという世界史的業績を有する。数世紀に一度あるか否かというほどの輝かしい業績だ。その日本に消滅の危機が迫っている。

#大学の業績評価
⑦共著論文はとにかく書きやすいし、学術誌に採用されやすい。昇進審査の際も共著に何らかの制限をすべきだ。例えば、もし論文を点数化して評価するのであれば、単著が1点の場合、共著は共著者数の二乗分の一以下にすべきだろう。掲載紙も重要だが。

かつて作家の曽野綾子氏が、「(自分は)二次方程式を解かなくても生きてこられたので、その教育は不要だ」のように言ったという。私は中学時代に二次方程式の解を学んだが、この程度の数学を教えずに現代のリベラルアーツ教育など実行不可能である。下記ブログ参照。
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ほとんどの日本人は、古文や漢文の知識がなくても特に支障なく生きてゆくことができるが、「古文や漢文の教育は不要だ」と作家は主張できようか。下記ブログ参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#少子化
②日本は非欧米の国として、初めて欧米の主要国に戦争で勝利している。ロシア・ドイツ・英国・オランダなどである。そのために世界でも一目置かれ、G7のメンバーにもなっている。科学技術の面でも多数の大きな貢献をしてきた。こうした国を消滅させてよいのか。

#大学の業績評価
⑧共著ばかり書いていると、共著癖がついてしまう。そして、論文の論理展開や著書の章立ての構想が自分でできなくなる。著作の細部に対する注意力も育成されないだろう。一人で一冊の学術書を執筆することの辛さは、経験した者でないと理解できない。

#少子化
③世界史における日本の使命は明らかだ。人種差別や力による支配(今日の世界でもこれが現実)を廃絶し、地球上のすべての人間が同等に発言できる世界を実現することである。この使命を達成することなく、日本が地球上から消滅していくことはきわめて残念だ。

#大学の業績評価
⑨ある教授の退官記念論文集を出すことになったとき、教授の大学院ゼミにいた者が集まって出版について話し合った。そのなかの一人が資金集めを自ら志願した。彼は編集に全く関与しなかったが、教授の願いで編著者に名を連ねた。それが彼の目的でもあったのだ。

#少子化
④「人口が少なくなれば人口密度が下がって、日本人も欧州人のようにゆったりとした生活ができてよい」という学者がいる。だが、数十年にわたって人口減少が継続すれば、日本の国際的地位が低下するだけでなく、総需要不足のために、ずっと経済的停滞が続くことになる。

教養教育を放棄した結果生まれたのが、直面する重大な諸問題にうまく対処できない「新しい野蛮人」だとオルテガはいう。経済学の閉じた世界に安住する経済学者は、新しい野蛮人の典型ではないか。経済学者ほど他分野の考えに耳を傾けない研究者はいない。私のブログ参照。
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#少子化
⑤長期継続する経済的停滞を過小評価してはならない。単に所得が伸びないというだけでなく、個々人の心が晴れず社会全体も暗くなる。人々を元気づける日本人の新発明や新発見も少なくなる。すると、青少年の志や向学心も劣化する。人口減少の過程を考慮する必要がある。

#大学の業績評価
⑩多大な費用をかけて、ある社会問題のデータを収集した。単純なモデルでは分析不能と判明したので、統計分析に詳しい研究者を探した。何とか探し問題の説明をしてデータを渡したら、その問題の専門家でもないのに勝手に論文を書いて、自分を筆頭執筆者にした。

#経済学
大学の教育と研究は分離可能か。近年、学術論文(や学術書)の業績のない者でも、大学教師として採用される例が生じている。彼らは卒論指導だけでなく、通常の講義でも学問を語れないだろう。最近唱えられている実務経験者採用義務も重大な問題を含む。ブログ参照。
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#大学の業績評価
⑪そのデータは、何人かの共同研究で話し合いながら統計分析を進め、学術誌に投稿する論文にしようとして収集したのだ。だが、この統計分析者が勝手に書いた論文は明らかに低質だった。彼は人が羨む大学の出身である。ここまでして筆頭執筆者になりたいのか。

#少子化
⑥人口が減少した社会は、他の事情一定の下で、瞬時に発生するのではない。数十年の時間を経て生まれるのだ。その間に、社会の雰囲気や人々の心理などの「他の事情」は大きく変化する。少子化問題を論ずるときは、人口減少の過程を考慮しなければならない。

#少子化
⑦政府は外国人労働者の受け入れを拡大し、単純労働者も就業可能にするようだ。受入基準を徐々に緩め、多数の外国人を就業させたいと察せられる。しかし受入を望むのは企業で国民一般ではない。多数の外国人の受け入れはほとんどの国で失敗しており、きわめて危険だ。

#大学の業績評価
⑫大学教師の副業は禁止すべきだ。テレビに頻繁に登場するタレント教授や、毎月・毎週のように一般向け雑誌で記事を書いたり編集をしたりしている教師は、本来の研究や教育をほとんどしていないはずだ。こうした活動は業績として決して評価すべきでない。

#少子化
⑧外国人労働者に関する民意を問わずに、徐々に受入を拡大するのは、民主主義の原理に反しないか。外国人労働者の受入を拡大するよりも、日本人労働者の雇用を促進・高度化すること、AIの技術革新をすること、日本の人口を増大させることなどのほうが重要だ。

#英語教育
①以前に議論した英語教育を再度問題にしたい。機械翻訳は急速に進歩しており、私が2007年に『学歴社会の法則』で論じた、多くの翻訳は機械に任せる状態に近づいている。文科省が熱心に推進する小学校からの全員英語教育は、既に時代遅れで直ちに止めるべきだ。

#大学教育
早大政治経済学部の一般入試で「数学」が必須化される。統計学の知識の必要性が高まっているためという。69日の私の下記ブログ参照:今日の複雑な社会の指導者になる人物には、たとえ文系であろうと大学教養レベルの微積分・線形代数・数理統計学などの知識がほしい。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#大学教育
経済の情報化と技術の高度化は数学力の必要性を高めている(拙著『学歴社会の法則』2007年参照)。早大政経学部だけでなく、すべての文系学部入試で数学を必修化すべきだ。難問奇問は不要。作家曽野綾子氏の二次方程式云々の言説がなんといかがわしいことか。

#英語教育
9割の日本人は高校12年レベルの英語の知識で特に支障がない。海外旅行の際は翻訳機能のあるスマホ・タブレットで十分だろう。彼らを小学時代から英語で苦しめるのは多大な時間の浪費だ。英語学習から解放された時間を、将来の仕事に役立つ勉強に使うべきだ。

#少子化
⑨前回⑧の「雇用の高度化」に説明を追加したい。90年代から浸透した新自由主義によって、労働は単なるinputに過ぎないとみなされるようになった。それまでの日本の経営理念に反して、人を大切にしなくなったのだ。非正規労働者の急増はその一面だ。高度化の逆である。

#少子化
⑩現在、約4割の労働者が非正規だ。不安定な職にいると、全力でその仕事をしたり、会社のため同僚のために努力しようとしたりしないだろう。家計も不安定で少子化が促進される。希望者を正規労働者にすることが雇用の高度化の一例だ。雇用は賃金だけの問題でない。

#大学の業績評価
⑬テレビによく出ていた伊東光晴氏の講義を学生時代に受講したが、半分以上は休講だったと記憶する。2月11日の私のブログに書いたタレント教授の教育や研究も問題だ。報酬や名声のために、テレビや一般向け雑誌の仕事が主になり、研究や教育が従になっている。

#少子化
⑪雇用の高度化を促進する政策として、私は雇用補助金を提唱したい(私のHPの英語論文参照)。雇用労働者の種類と数に対応して、予め決めた額の補助金を雇用主に支給する制度だ。企業と労働者の双方を利するので、補助金費用以上の便益が経済全体に生まれる。

#少子化
⑫前回の雇用補助金に関する追加説明。雇用補助金は非正規ではなく、雇用保障の程度の高い正規雇用を促進するために提唱している。望まない非正規雇用をなくすことが、日本社会を豊かにし安定化させる。雇用補助金制度で希望の持てる明るい日本を実現しよう。

#少子化
⑬「自分の子供の数は自分で決めてよい」というのが、今日の多くの日本人の考えであろう。この考えは個人主義に基づくと思われる。また戦前の「産めよ殖やせよ」に対する反感もあろう。しかし、それが社会全体に最適な結果を生むという論理を私は聞いたことがない。

#少子化
⑭最近行われた党首討論でも、質問者の枝野代表は「子供を産むか産まないかは、最も基本的な自己決定権の範疇です」といい、安倍首相は「産むか産まないかの選択は本人の選択にゆだねられるべきだ」と返答している。そうするのが何故よいのかの論理が見られない。

#少子化
⑮「個人にとって好ましい選択は、必ずしも社会全体にとって好ましくない。」この認識が社会科学の第一歩だ。今問題なのは、多数の兵士を繰り出して戦争に勝つことではない。日本国を滅亡させたり小国化したりしてよいかということである。

#少子化
⑯「消費者が消費する財の種類と量は各人の選択に任せるのがよい」という主張には、いちおう経済学の論拠がある。そうすれば経済の資源配分はパレート最適になるとされる。子供の数を各人の選択に任せれば、パレート最適な状態が実現するのであろうか?

#少子化
⑰話を分かりやすくするために単純化してみよう(しかし実際にありうる)。少子化が進行すると、最終的には日本や世界の人口が数十人・数千人になってしまう。その多くが老人だ。彼らの食料の生産や病気の治療を誰が行うのであろうか?埋葬は誰がするのか?

#少子化
⑱将来の時間をもっと現在に近づけてみよう。日本人を祖先に持つ者が一家庭当たり子供一人を儲けると、(移民政策などにより)20年後に周囲は英語だけを話す外国人だらけになるが、子供を二人以上儲けると日本語だけで生活できるとしよう。どちらがよいだろう?

#少子化
⑲子どもの数がゼロの家庭の人も日本語で生活できるのは、他の日本人家庭が子供を産み育てているからだ(日本語を日本文化と言い換えてもよい)。経済学的にいうと、前者は後者から外部経済(利益)を得ている。この外部経済を最適化するにはどうしたらよいだろうか。

#少子化
⑳第一の方法は、全家庭が二人以上の子供を儲けて、互いに外部経済を与え合うことだ。第二の方法は、外部経済に比例する補助金を各家庭に与え、つまり子供の多い家庭に多くの補助金を与え、人口減少を防止することだ。両者とも経済学的に正当な論理に基づいている。

#少子化
第一の方法は、「自分の子供の数は自分で決めてよい」という主張と相いれない。私はこの主張のほうが非論理的だと考える。人口が過剰で、一部の家庭の子供が一人以下でも問題とならない状態ならば、この主張でもよさそうだが、今日の日本はそうした状態にない。

#少子化
第二の方法も有効だが、巨額の財政赤字を抱える政府は大々的に実行しづらいだろう。ある程度は今日でも行われているが。子供の少ない家庭に負の補助金(罰金)を課すという方法もあるが大反対に遭遇しよう。第二の方法と実質は同じで朝三暮四に過ぎないけれど。

#少子化
学校の授業料を一律に無償にすることは、実際には不適切だ。少ない総補助金額で少子化を阻止するには、第一子に対する補助金はゼロ、第二子には養育教育費の2割相当、第三子以上には10割のようにするとよい。子供を持つ誘因は補助金の獲得のみではないからだ。

#大学
⑥大学が清掃業者の作業をチェックしないので、教室内や階段に綿埃や毛髪の塊が常時散らばっている。留学生に恥ずかしい。学長や他の教員は気にならないのか。私は退職数か月前に事務に問題を伝えたが、なかなか解決しようとしなかった。最終的には業者を替えたようだが。

#大学
⑦大学では社交も重要だ。飲みながら深夜まで議論できる場もほしい。大学の立地が悪く周囲に適当な飲食店がない場合は、大学か同窓会がキャンパスの中か外につくるべきだ。教室や図書館の中だけの勉強が大学教育の目的ではない。スケールの大きい人間を育てよ。

#大学
⑧大学(周辺)には次のような飲食サービスが必要だ。学生向け食堂。教職員用食堂。主に賓客用の高級レストラン。学生が学友や時には教師と茶や酒などが飲める場。小規模大学ではが無理だろう。周辺にがなければ大学や同窓会が学内に造るべきだ。

#大学
⑨日本の大学の国際競争力欠如の一因は、大学行政の意思決定者の多くが東大出身者で、東大を頂点とする日本の高等教育システムを死守しようとしていることにあると推察する。東大の単位研究費当りの成果は必ずしも良くない。もっと柔軟なシステムが必要だろう。

#教師
①今回の冬季オリンピック男子フィギャー・スケートで、羽生結弦・宇野昌磨選手が金・銀メダルを獲得した。快挙であるとともに誰にも負けない厳しい訓練の成果でもあると感じる。それと同時に、優れた指導者の下で訓練を受けることの重要性も認識させる。

相撲⑥
女子相撲の国際大会を日本で毎年開催してほしい。またそれをオリンピック種目にできたら面白い。男相撲のオリンピック種目化は避けるべきだ。柔道の二の舞になり、日本文化の良さが消されてしまう。男相撲は頑として伝統を守り、日本精神を世界に示してもらいたい。

毎日納豆を食べる人は千万人単位で存在すると推察する。私もその一人だが、納豆のパックを開けて気になるのは、醤油垂れの量が多すぎることだ。個人的にはほんの一垂れで十分である。醤油垂れは別売のみにしてパックの価格を下げ、資源の浪費を避けたらどうか。

相撲⑤
日本の相撲は外国人女子にも大人気だ。女子相撲の新ルールを作り、国際試合を日本相撲協会と無関係に日本で開催できたら面白い。女子レスリングよりはずっと関心を集めるだろう。女子相撲の国際試合を東京・ロンドン・ソフィア・トビリシ・・・で開催しよう。

中国①
小売店や飲食店の店員に中国人が多いのに驚く。日本の航空会社の客室乗務員をしている中国人を見たこともある。彼らはどんな資格で働いているのだろうか。日本人の働き手がいるのに、なぜ日本語が不十分な中国人を雇用するのであろうか。

中国②
企業の利潤動機で外国人労働者を雇用してはならない。日本に居住する外国人労働者は、単なる企業のインプットではない。日本人の生活や文化の質・治安・国防などに影響する。特に中国は反日教育をして日本占領を計画している国だ。日本はお人よし過ぎないか。

#少子化
話を分かりやすくするために抽象化してみよう。少子化が継続すると、最終的には社会の人口が一人になってしまう。その人の食料の生産や病気の治療(これは象徴表現)を誰が行うのであろうか?今日でも、年金制度と関係して、これに類する問題が生じつつある。

#少子化
社会の人口が一人になる時が近づいている段階で、「子供を産むか産まないかは最も基本的な自己決定権の範疇だ」といえる人がいようか?われわれが今日直面している問題も、感じにくいだけで、本質的には同じである。「自己決定権」といえる根拠は何なのか?

#大学教育
元東大副学長の吉見俊哉氏は、『「文系学部廃止」の衝撃』のなかで、日本の大学は言語などの壁で防御された「エビやカニの甲殻類を連想させ」るので、英語化などによって国際交流をはかり、壁を崩す必要があると説く。国家を超えた普遍的価値の追究をすべきだとする。本日の下記ブログ参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#大学教育
「文系は必ず役に立つ」と元東大副学長の吉見俊哉氏は前出書で主張するが、役立った事例を一つも挙げていない。もし五〇年後に役に立つのであれば、今から五〇年前に行われた文系の教育や研究が、現時点でこう役立っていると説明すべきである。本日の下記ブログ参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#少子化
以上の論理から、政府が少子化を抑制するのに十分な補助金政策を確立できない段階では、個人的努力(子供を2人産み育てること)によって、抑制に貢献することは道徳的な義務になるといえよう。公共の場の美観維持が道徳的義務であるのと同じように。

#少子化
もちろん子供を授かることのできない夫婦も存在する。そのため、3人以上の子供を持つ夫婦がいなければ人口減少が進行するので、政府が少子化を抑制する補助金政策を確立することが重要になる。人口減少は個人の義務感と政府の政策の組み合わせで阻止すべきだ。

#大学教育
元東大副学長の吉見俊哉氏は、大学人の日本語による表現に関して、「知的言語世界のガラパゴス化」と批判する。しかし、彼のすべての単著・共著書二十冊ほどが日本語で書かれているのは矛盾だ。英語で執筆して、自ら垂範すべきではなかったか。私の下記ブログ参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#大学教育
元東大副学長の吉見俊哉氏は、「大学は、人類的な普遍性に奉仕する機関であって、国立大学といえども国に奉仕する機関ではない。」と断言する。彼が嫌っていると推察される新自由主義は普遍性を追究した思想だ。マルクス主義も同様。普遍性志向だからよいともいえない。私の下記ブログ参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#大学の業績評価
⑭藤原正彦氏は一般向けの著書を多数出版しているが、専門とする数学の研究書は見つからない。数学の業績(定理など)はあるのだろうか。顕著な業績はない、と知り合いの数学者が言っていた。下も参照。専門家の情報提供を乞いたい。
http://kiyotani.at.webry.info/201410/article_18.html

#大学の業績評価
⑮ついでに言うと、かつて藤原正彦氏は、2011年の東日本大震災で示した日本人の自己規制を、いくつかのメディアで声を大にして称賛していたが、私はその10年以上も前に同様なことを『終身雇用制と日本文化』(1997年、78頁)に書いたことがある。次の⑯を参照。

#大学の業績評価
⑯「神戸市などを襲った一九九五年の地震のときに被災者が見せた高い行動規律(自己規制)は世界に強い印象を与えた。一部の国にみられるような、暴動・災害に乗じて商店を襲い商品を略奪する行為は、わが国には見られない。」『終身雇用制と日本文化』(78)

#大学の業績評価
⑰『終身雇用制と日本文化-ゲーム論的アプローチ』は、私のホームページにて無料閲覧可能です。
http://araikazuhiro.world.coocan.jp/

#日本文化
①新自由主義が浸透して日本は拝金主義や利己主義に支配されてしまった。日本は文化の戦争にも敗れようとしている。敗戦を助長しているのが米国を神のごとく見做す多くの経済学者だ。日本文化の長所を世界に広めたいと考える筆者が、思いついたこと数点を書き記してみたい。

#大学教育
大学教育では、「シェイクスピアではなく観光業で必要な英語、マイケル・ポーターの戦略論ではなく簿記・会計とそのソフトの使い方、憲法・刑法ではなく宅建や大型第二種免許を」教えるべきだという冨田和彦氏の主張の問題点は何か。私の下記ブログ参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#大学の業績評価
⑱嘗ては特定分野で顕著な業績を挙げた人物が大学長になった。だが90年代頃から事情が変わり、見境なく票を集めた者が学長・副学長に選ばれるようになった。今では査読付き論文や著書なしでも学長になれる。学識より狡さが重要なのだ。多くの大学人が認めよう。

#東京五輪
①東京五輪がちょうど2年後に迫った。世界から来日する人たちに、日本に対して好印象を持ってもらうことを第一の目標として、あらゆる手段をとるべきである。開会中は猛暑日が続くと予想されるが、メイン会場に天井がなく冷房はどうするのだろうか。

#東京五輪
②強い日差しと熱い空気を遮断する膜状の軽い移動式仮天井を、メイン会場に設置できないか。ならばエアコンの効果が格段に上がる。簡単な追加工事で可能かも。それは雨に耐えられないだろうが、雨の日は暑さ対策が不要なので、天井を引っ込めて畳んでおけばよい。

#日本語表現
②重要な契約に関して東京ガスが「問題があれば20日頃にメールする」という。メールがなければ契約成立だ。だが「20日頃にメール」がなかったことはどう判断可能か。28日は20日頃なのか。これは責任逃れの表現だ。なぜ「xx日までにメールする」と言わないのか。

#大学の業績評価
⑲顕著な研究業績を挙げている大学人でも、悪質なことをしている場合がある。よくある例が教育(授業)の手抜きだ。休講のことは既に触れた。中身の薄い授業をすることもある。ほとんど準備してこない教師もいる。これらの問題はほぼ解決できるので後で議論したい。

#大学の業績評価
有名な数学者の竹内外史氏の微積講義を米国で受講したことがある。私情を排して評価しても最悪の講義だった。最初の約10分間に簡単な話をして研究室に帰ってしまった。講義の準備をしてきた形跡がなく、ラグランジュ乗数法など、教材の内容も理解していなかった。

#大学教育
経済学部生は不勉強で学力が低い。文系学部廃止論争では、廃止反対派の文系擁護が前面に出て、廃止賛成派を有利にする大学生の現状がほとんど語られない。8割以上の学生はほとんど勉強しておらず、試験の前に多少教科書を読む程度だと推察される。下記ブログ参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#大学教育
経済学部生はほとんど質問しない。私はほとんど毎回の講義で「質問はないか」と質問を促した。ときには、「どんな些細なことでもかまわない」「教師を困らせるような質問をしてほしい」とも伝えた。しかし、学生からはほとんど何の反応もなかった。下記ブログ参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#大学の業績評価
竹内外史氏の講義には、当初30人ほどの受講者がいたが、直ぐに私を含めた3人だけになってしまった。日本人ならいずれ素晴らしい講義をするだろうと期待したが外れた。彼は英語が極めて下手で、sphereと言うべきなのに日本語の「球」が口から出てくるほどだった。

#大学教育
ゼミが発祥した一九世紀のベルリン大学では、特別の選抜試験に合格した一部の優秀な学生のみがゼミに参加でき、奨学金も支給された。ゼミは文献講読の演習と学生による論文報告会から構成された。日本のゼミでは活発な議論が行われているのだろうか。下記ブログ参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#大学の業績評価
竹内外史氏の講義の仕方は、明らかに学生や大学に害を与えるもので悪質だ。どれほど研究業績があったとしても、そうした講義は許されない。日本の大学も悪質講義を排除すべきだ。「密室」で行われる悪質講義をどう排除するかを次回に述べたい。

#大学の業績評価
悪質講義の排除は難しくない。第一に重要なことは、教師が教科書を指定して講義要綱に示し、それに沿って講義することである。また教科書が分厚い場合は、そのどの部分を講義で議論するかも予告すべきだ。講義要綱に反する講義は容易に識別可能で問題にできる。

#大学の業績評価
教師が教科書を講義要綱に公表すれば、講義内容の適切性を他教員が判断できる。また、教師が教科書に沿って講義を行わなかったり、教科書の内容に関する学生の質問に答えられなかったりした場合も、容易に共有知識になろう。不適切な講義内容や方法は阻止できる。

#大学の業績評価
そのため第二に重要なのは、こうして客観的に明らかになった不適切講義を学生が訴えられる制度を設けることだ。まずは匿名で担当教師に伝え、教室で教師の反論や改善方針の説明が可能なようにし、それでも問題が残れば、学生が委員会などに訴えられるようにする。

#戦争
①なぜ米国は日本に原爆を投下したのか?戦争の終結を早め、百万人の米国人兵士の犠牲を避けるため、というのは口実にすぎない。三つの根本的理由がある。私の下記海外向けブログを参照。
https://araikazuhiroen.blogspot.jp/

#大学教育
ゼミと聞けば崇高な教育方法と感じる人もいるようで、教育改革の一手段として、多くの大学が対象を一、二年生にも広げている。しかし、ほとんどの学生はゼミでも真剣に勉強しない。知識を深め討議力を鍛える機会を積極的に活用する学生はいないのだ。下記ブログ参照。
https://araikazuhiro.blogspot.jp/

#大学の業績評価
付言すれば、教科書を使わない講義は不適切だ。教科書がなければ、予習を行えないし復習も不十分になろう。また、講義は口頭で行われるので、細部の説明が不十分になったり学生が聞き漏らしたりする。教科書はその欠点を補い、学生の理解を格段に高める。

#戦争
②原爆投下の根本的理由の一つは、新兵器の効果検証の「人体実験」を行うことであった。米国は広島や長崎の詳しい調査を行ったし、一部の負傷者を治療と称してわざわざ米国に呼び寄せデータを収集した。私の下記海外向けブログを参照。
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#戦争
③原爆投下のもう一つの理由は、日本がキリスト教国でなかったことだ。欧米人は非キリスト教徒を殺害することにあまり良心の呵責を感じなかったし、現在でも特に米国人にその傾向がある。私の下記海外向けブログを参照。
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#戦争
④原爆の威力を世界特にソ連に対して示すことが投下のもう一つの理由だ。米国は第二次世界大戦への参戦を遅らせて英国を弱体化させ、潜在的な敵日本を破壊し、新たな敵ソ連に優越性を示すことが必要であった。私の下記海外向けブログを参照。
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#大学教育
教室内が私語でワイワイガヤガヤしていても、一向に注意せずに講義を続ける教師がいる、と学生から聞いたことがある。その教師は独り言をいう気持ちで講義しているはずだ。大変な苦痛であるに違いない。ちなみに彼の講義に対する学生の評価は学内トップクラスらしい。下記ブログ参照。
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#戦争
⑤日米戦争は米国にとって宗教戦争でもあった。宋美齢や夫の蒋介石が、ルーズベルトを始めとする米国人に、非キリスト教徒日本人は「野蛮」だとを吐き吹聴した。単純な米国人が自分で調べもしないで日本に対する敵意を増大させた。真珠湾攻撃の件も敵意を増幅した。

#大学教育
テレビを見るような気で講義に出席する学生が多い。講義中にストローでジュースを飲む学生が最近はいるようだ。ひょっとしたら講義中に物を食べる者もいるかもしれない。「教師は勝手に講義してください。私は好きなようにそれを見ています。」という受講態度だ。下記ブログ参照。
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#大学教育
先に質問しない学生に触れたが、この現象は過去30年程の日本経済の沈滞を象徴している。向学心・積極性・公共心がないと質問はできない。教室で質問もできない人間が、国際舞台で活躍したり、大企業を世界一流企業にしたり、発明したりできようか。下記ブログ参照。
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#戦争
⑥米軍に従軍神父・牧師がいた事実は日本人に異様であろう。原爆投下の際も、出発する投下機の搭乗員に従軍神父が良心の呵責を軽減するためのメッセージを与えた。原爆投下は神が許すとしたのだ。すると犠牲者は神に殺されたことになる。宗教は何と恐ろしいことか!

#戦争
⑦世界史で顕著な虐殺の全ては、キリスト教徒またはマルキストによって実行された。マルクス主義はキリスト教から派生したので、後者は虐殺を生み出す思想を内包していることになる。キリスト教は世界平和に反する宗教ではないか。キリスト教徒の弁明を聞きたい。

#戦争
⑧キリスト教は各信徒に利益を生み出すかもしれない。だが、個人的利益は社会全体の利益と必ずしも整合的でないことをゲーム論は教える。キリスト教のように、異教徒は殺害してもよいと教える宗教が複数存在すれば、地球は常に戦争状態になり、人類が不幸になる。

ツイッターとブログにて海外向けに英語で発信しています。日本人として外国の人たちに伝えなければならないことがある、という義務感から書いています。以下を参照されたい。
https://twitter.com/araikazuhiroe88
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#大学教育
すべての教員が厳しい成績評価をすれば学生の不勉強を阻止できると、多くの人は考えるだろう。厳しい評価は主観的になるので、実際は相対評価になる。私はかつてそれを学内の委員会で提唱したが、そこにいた教育学者の反対で実現しなかった。私の下記ブログ参照。
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#大学教育
ただし、それから二十年ほど後にAの割合のみは明確に決まった。相対評価に反対する教員に、学生の不勉強をどうするのか、また大学入試の相対評価は問題ないのかを説明してもらいたいものだ。教育学者にも日本の繁栄のことを考えてもらいたい。私の下記ブログ参照。
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#大学教育
いい講義はどの学生からも高く評価される、という思い込みから授業評価が実施されている。実際は向学心のない学生が圧倒的に多く、彼らは豊かで厳しい講義を低く評価する。高評価を得るために、そうした学生に合わせて授業を行うことは好ましいのか。下記ブログ参照。
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#戦争
⑨宣教師やキリスト教徒は、「キリスト教を信じると生き方が分かって人生が楽になる」とか「いつも神と対話できるので楽しい」という。これらは個人的便益である。個人的便益は社会的便益と必ずしも整合的でない。宗教は社会全体の幸福(厚生)を考える必要がある。

#大学教育
学生を神様のごとくみなす消費者主権原則を授業評価に適用するのは誤りだ。この原則では財に関する完全情報が前提となるが、完全情報なら教育は不要だ。授業評価の依拠する論理が不明のまま、日本中で授業評価が行われ多大な資源が浪費されている。下記ブログ参照。
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#大学教育
授業評価では学生の平均評価が問題とされるが、二十人と二百人のクラスの平均評価を比較しても意味がない。受講者に厳しい条件を課し、向学心の強い学生のみが受講するようにして受講者数を減らせば、平均評価は上げられる。下記ブログ参照。
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#大学教育
今日では学部学生より低学力の大学院生が多い。その一因は大学院重点化による広き門にある。私が大学院に進学したころは競争率が五倍ほどあったが、今日では二倍を切っているはずだ。大学院は何校でも受験可能なので、実質的に全入状態だ。下記ブログ参照。
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#戦争
⑩東京裁判の判決は事後法を適用したもので違法だ。戦勝国の法学者・宗教家でこの違法を問題視した者はほぼ皆無であった。大量虐殺の場合と同様に、いざというときの学問や宗教の「いかがわしさ」を示唆している。学問や宗教は要するに人間の創作物にすぎない。



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