経済学部は必要なのか(84) 好奇心と創造性の育成


好奇心と創造性の育成
 幕末に米国人から蒸気機関車の模型を見せられたとき、日本人は好奇心を示してそれに近づいて行ったといわれる。遠巻きに見た他国の人たちとは違っていたようだ。この特徴も日本人の比較優位といえる。好奇心は知識欲や創造性につながるので、それを育成する教育が必要だ。
 本評論が強調した広い分野の勉強は好奇心を増大させる。人間は異質のものを体験したときに好奇心が高まるので、一分野だけ、文系だけ、あるいは西欧だけの勉強では、大きな好奇心が育たない。主流派経済学だけの勉強も同様で、現実社会の人間が苦悩している問題に対する好奇心を高めない。米国基準で考える経済学徒は、米国以外の国の問題を深刻に考えようとしない。
 ちなみにコペルニクス(一四七三~一五四三)は、天文学だけを学んで地動説を唱えたのではなく、若いころのかなりの時間を法学や医学の勉学に割いた。そして、その後の彼の生活は法学や医学の知識によって支えられている。
 好奇心を高めるもう一つの方法は、教育において観察や実験を重視することだ。実際に自分の目で見て、自分の手で操作してみれば、どんな対象に対しても好奇心が生まれ、工夫意欲も湧いてこよう。学問は遊びの一種なのだ。書籍で学ぶこととは異質の好奇心である。観察や実験で創意工夫を重ねれば、将来の仕事においても創意工夫を試みるようになるに違いない。
 観察・実験・創意工夫の精神の増進に有用なのが芸術科目だ(荒井、二〇〇九)。作文・作画・工作・作曲の教育には、生徒が自分でテーマを決め独自の作品を創り上げるという研究類似の要素があり、研究心の育成につながる。それらは感性向上にも役立つ。個々人のもつ研究心こそが日本経済の生産能力を決める。創造や技術革新の過程は、試行錯誤によって新しいことを考え出し、結果を観察することの繰り返しにほかならない。芸術教育はそのための訓練になるのだ。
 数学科目では観察・実験・創意工夫が一見不可能に思えるが、必ずしもそうではない。数学嫌いが多い原因の一つは、難問などを解かせる受動的な勉強が支配的なことにある。自分から問題を作らせる教育をすると、数学に対する生徒の好奇心が高まるはずだ。たとえば、中学数学で図形問題を各生徒に作らせると、生徒がたいへん面白がり授業が盛り上がるだろう。
問題集が多数出版されているので、問題作成を宿題にすると、自作か否かが判別しがたいかもしれない。自作させるには、ある問題を提示して、その変形問題を作らせるとよい。このような思考作業は経済学などの研究でも頻繁になされる。学術論文の多くは既存の論文の内容を発展させたものなので、生徒の問題作成は専門分野で創造性を発揮するための訓練になろう。
 こう考えてくると、難問による中高大入試がいかに歪んでいるかを理解できるかもしれない。短時間で条件反射的に難問を解く訓練は創造性につながらない。そうした訓練を受けて「一流大学」に入学した個人が好奇心旺盛で創意工夫に満ちているとは限らないだろう。現在、国立大学の三類型化などにより大学ピラミッドの固定化が進められているが、創造性に満ちたすべての個人に上昇機会のある学校や職場が必要である。

荒井一博『自由だけではなぜいけないのか - 経済学を考え直す』講談社、二〇〇九年。

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http://araikazuhiro.world.coocan.jp/
 




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