経済学部は必要なのか(85) 日本文化に対する理解


日本文化に対する理解
 悲惨な戦争や植民地支配が長く続いた西欧と比べれば、日本は特異な歴史や文化をもつ。可能なかぎり客観性を心がけて比較をすれば、日本には優れた点が多数存在することが理解できるはずだ。しかし敗戦の影響もあって、戦後の教育は自国の長所を十分に教えてこなかった。日本の歴史や文化を否定的に教えることを好む人も少なくない。
日本の若者が欧米のことにもまして自国のことを学ぶようになり、自国の歴史や文化の長所を理解すれば、好奇心や勉学意欲が高まり秀逸な発想も生まれてくるであろう。中高の地歴科目では、細かい事項の暗記よりも、日本と欧米などとの相違を教え考えさせる教育が望まれる。主要な宗教の間の基本的な相違なども教えたら、歴史や国際関係をはじめとして、人文社会科学一般や芸術に対する生徒の関心が高まるに違いない。
 この点に関しては経済学にも深刻な問題がある。すでに論じたように、主流派経済学は経済社会における文化の役割をまったく考えてこなかった。考えてきたのは、私利を追求する個人が契約を通して取引をする(人間関係を結ぶ)世界である。取引費用の存在などのために現実はそうした世界と異なるので、他者に対する期待などの文化的要因が重要な役割を果たす。経済学は、現実から大きく隔たった世界で成立する理論を使って、現実世界を説明し、それに対して政策を提案してきたのだ。日本人が経済学に真剣になれない理由の一つはここにある。
経済における文化の重要性が認識されれば、文化的相違が経済に与える影響にも関心が向けられるだろう。日本の経済学者は、日本文化を考慮して日本経済を分析しなければならない。欧米文化との相違が、組織・家庭・学校・社会保障・自然・環境などに対して異なった見方や政策を生み出すからだ。経済と日本文化の関係という一見特殊な研究は、経済と文化の関係という普遍の研究につながる。そもそも人文社会科学は、科学という名称を有するものの、文化から独立して存在しえない。他者に対する期待だけでなく、善悪の区別や多様な価値の重視の仕方に文化が入り込む。
日本人のアイデンティティを確立するためにも、日本の歴史や文化に対する深い理解が不可欠だ。アイデンティティの弱い個人が、人文社会芸術で深い研究や強い主張はできない。幸いにも、日本は価値観・人間観・自然観・美意識などの文化全般において、世界で屈指といえるほど優れていて、その深い理解は人間の精神を大いに高める。もちろん改善の必要な面もあり、近年の日本文化の劣化も考慮しなければならない。
米国文化のなかで育ったわけでもない日本人が、米国人の視点に立つ経済学で顕著な業績を挙げられようか。他文化の真似をして研究しても、本国人の研究を超えられない。繰り返しになるが、日本の経済学の存在感が世界で希薄なのはここに原因がある。日米間の文化差は欧米間の文化差よりもずっと大きい。日本文化の特色を積極的に表現したり活用したりすることによって、日本の科学や芸術や産業は強くかつ独創的になれるのだ。
世界でも特に優れた日本文化は、一般の日本国民に自信を与えてくれる。日本文化に貢献した先人の業績を知れば、自分もそれに続きたいと考えるようになろう。自国に対する自信なくしては、社会や世界のために貢献しようという強い気力も湧いてこない。自己利益しか考えなくなるはずだ。
大学には文化を形成する重要な使命があることを私は強調したい。今の時代には、大学こそが優れた文化の形成に指導力を発揮すべきである。しかるに、経済学部は文化的劣化を促進しているだけではなかろうか。日本の大学は、学生に世界一の能力とともに世界一の倫理感すなわち文化的意識も付与すべきである。米国文化を猿真似せずに、日本文化を基礎にして新しい文化と新しい経済学を形作るべきだ。

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