自ら子どもを産み育てる意志が重要


「こどもの日」を前に、総務省は四月一日時点の子どもの人数を推計した。それによると、子ども人口はピーク時一九五四年の約半数になった。これはきわめて深刻な事態だ。
少子化の要因は多様だが、その一つは多くの人たちの考え方である。「自分の子供の数は自分で決める自由がある」と、ほとんどの人たちが教えられ考えている。個人の最も基本的な自由だと信じているかもしれない。しかしその根拠は薄弱であると私は考える。経済学的にも正当化が困難だ。その考え方は誤りだと私はあえて指摘したい。
日本人が減ってゆくと、日本語や日本文化による生活が次第に困難になる。日本語が十分に通じない人たちと生活しなければならないだろう。いずれは外国語による生活を強制される可能性さえある。価値観や生活習慣の異なる人たちが多くなると、彼らとの共存は非常に困難であろう。こうした困難が生じてくる変化は緩慢なので、ほとんどの人は現時点で実感できない。
日本語や日本文化による生活が可能な状態を維持することは、快適な環境を維持することと似ている。快適な環境を維持するために、国は環境省を創設し、個々の日本人や企業は法やマナーを守ってきた。つまり国の法的・財政的な政策や個々の主体の努力によって、優れた環境を維持してきたのである。
それと同様に、日本人が日本語や日本文化に基づく円滑で快適な生活を維持するためには、国の政策や個々の日本人の努力によって、人口減を食い止める必要があるのだ。現時点では、一組の夫婦が二人以上の子どもを産み育てることが必要といえよう。自分の子どもの数は、自分の都合で自由に決めてよいとはいえないのだ。
子供の数が一人以下の日本人は、日本語や日本文化による生活が可能な状態の維持に十分に貢献しないで、その状態から得られる便益を享受していることになる。経済学的に表現すると、フリーライダーになっているのだ。
もちろん諸般の事情で一人以下の子供しか産み育てられない人たちもいる。そのような人たちは、金銭的な貢献やボランティア活動による貢献など、別の方法で人口増に貢献する必要があるといえよう。

 人口減を食い止める方法は、雇用の安定化、女性の働き方の改善、保育所サービスの充実、家族制度の改善など、多数存在する。こうした方法を採用するとともに、個々の日本人が、自ら子どもを産み育てるという強い意識をもつこともきわめて重要なのである。





コメント

このブログの人気の投稿

経済学部は必要なのか(39) 御用学者の公共心

経済学部は必要なのか(28) 勤勉で勉強好きな日本人という神話

Twitter:過去のツイートの整理 (2) 2018年(b)