経済学部は必要なのか(71) 学生の勉強量を増やす


学生の勉強量を増やす
第三の便益は学生の不勉強を矯正できることである。明らかに二重学位を取得するためには多大な勉強量が必要で、第二章でみたような不勉強では取得できない。そのため、有力経済学部で二重学位が目標になれば、学生の目の色は一変するはずだ。そのような猛勉強を経験した若者は、今より有能な指導者になるだろう。私は有力経済学部に学生の二重学位を奨励するよう強く要望したい。また中堅大学に在籍する向学心旺盛な学生も二重学位に挑戦して、有力大学卒業者に負けない能力のあることを示してほしいと考える。
二重専攻の場合は、卒業に必要な単位数が一専攻の場合とほぼ同じなので、単位数だけからは勉強量の増大につながるかを断定できない。だが、そうなる可能性は高いといえよう。前述のように、二重専攻では類似の科目が少なくなり、不勉強であると単位が取得しにくくなる。それどころか、二重専攻は世界観を広げるので、学生の問題意識を高め、自主的な勉強の量を増大させる可能性が高い。
二分野専攻が、個人能力の点で実行可能かについても検討しておく必要があろう。二重専攻は米国で普通に行われているので、日本の学生でも実行可能なはずだ。実際、日本でも一部の大学では二重専攻が行われている。米国大学に関する調査結果によると、二重専攻をした学生の在学年数は、単一専攻の学生と変わらない(Del Rossi and Hersch, 2008)
二重学位の取得は大きな努力を要求するため容易でないはずだ。私は学部時代にそれに近いことを試みたが、きつい経験であった。二重学位や二重専攻の制度もない恵まれない環境で、自分なりに努力した経験である。私の学部時代の専攻は国際関係論であったが、経済学も勉強した。四年間で、前者の満たすべき単位を取得し、経済学の大学院入試にも合格したので、二重学位に近い体験をしたと考える(先述のように当時の大学院入試の倍率は高かった)。
学部時代に履修可能な経済学の科目も若干履修したが、とても十分ではなく、経済学の大部分は独学であった。教えてくれる人がいないこと、また疑問を抱いても質問できる人がいないことは、学問をする上で大変辛いことである。もし当時の私に二重学位の機会があったら、必ずそれを利用したはずだ。そして、ずっと容易に二分野の勉強ができたと思う。付言すれば、米国の大学院に留学したとき、いくつかの学部で興味深い学部科目が多数オファーされており、それらが自由に履修できることを知って、学部時代に留学する機会に恵まれなかったことを悔やんだ。
米国の大学には、学部間の垣根が低いことのほかに、二重専攻を容易にする制度があることも触れておきたい。米国では、高校で履修した高いレベルの科目が、大学入学後に大学の科目相当(advanced placement credits) であると認定される。そのため、有力高校出身者は大学入学後に履修する単位数が少なくなって、二重専攻が容易になるともいわれる。日本にはこうした制度がないものの、二重専攻にとってあまり重大な障害になるとは思われない。

Del Rossi, Alison F.; Hersch, Joni, “Double Your Major, Double Your Return?Economics of Education Review, August 2008, v. 27, iss. 4, pp. 375-86

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