経済学部は必要なのか(69) 世界観を広げ創造性を増大させる


世界観を広げ創造性を増大させる
 本章における私の第二の提案をもう少し明確にすると、「学部段階の経済学教育では二重学位を目標とし、それが不可能な場合は二重専攻にせよ」と表現できる。二重学位が実行できるのは、一部の有力大学の学生に限られるかもしれない。
吉見(二〇一六)は、八ページほどにわたって、二重専攻や主専攻・副専攻の議論をしている。それに対して本論は、それが触れていない二重学位を重視し、実証分析の結果も検討して、それとは異なった視点から考察を行う。また以下の内容は、同書に触発されたものでもなく、留学経験を基に私が何十年も前から考えていたことにほかならない。その証拠もある。
経済学を含む二重学位や二重専攻の便益は多様で多大だ。前述のように、大学で教えられる経済学の世界観は単純で歪んでいる。「私利の追求が効率性を生む」という厚生経済学の第一命題を学ぶために、四年間を費やすことは適切だろうか。条件が満たされずこの命題が成立しない場合に、社会や人間はどうあるべきかを経済学は教えない。他分野の知識がどうしても不可欠だ。
 二分野を専攻すれば、経済学の右のごとき世界観をかなり矯正できよう。これが第一の便益である。経済学と異なる視点も形成されれば、経済学の主張の相対化が容易になるはずだ。それどころか、ある問題の解法が二つの視点で異なれば、その理由を解明しようとして思考が深まる。第三の視点が生まれるかもしれない。二分野の専攻は単に専門知識の量を二倍(二重専攻なら一・二倍など)にするだけでなく、思考力を二倍(一・二倍など)以上にするのだ。
 このことは次の比喩からも理解できよう。一専攻は思考の座標軸が一本であると例えられ、一専攻の知識による考察は、その座標軸上を左右することとみなせる。専攻が二つになれば、もう一本の座標軸が形成されて、互いに交わる二つの座標軸の上だけでなく、それらが張る平面の上を前後左右どの方向にも動けるようになるのだ。二つの座標軸が二次元的思考を生み出す。
 二重専攻の実態や効果に関する調査と研究が米国で多少行われている。それによると、二重専攻者は単一専攻者より創造的に考え活動するようだ(Teagle Foundation, 2013。二重専攻は、違った考え方をしたり、知的な難問を考えたり、研究課題に創造的に取り組んだりするのに役立つとされる。また、こうした効果は、自然科学と人文社会科学のような隔たった分野の組み合わせを選択すると大きいようだ。クラスのディスカッションや研究課題に対しても、二分野の考え方を考慮して取り組むようになるという。二分野を学んでいれば、頭脳のなかで異なる考え方が刺激し合い、優れた発想が生まれるともいえそうである。
 ニューヨーク・タイムズに掲載されたFowler (1990)のエッセイのなかに、セント・メリーズ・カレッジ学長のエドワード・ルイス氏による次の発言が引用されているが、その趣旨も右と同様であろう。「世界が複雑になるにしたがって、われわれはもっと複雑な問題を扱える能力を育成しなければならない。これは、過度の専門化よりも多様な教養に精通していることの必要性を意味する。学生に求められているのは、異質の分野にまたがって明晰かつ批判的に思考する能力だ。」
 当然ながら、二重学位や二重専攻は経済学部生以外にも有益である。わが国の理工系学部の卒業者に対しては、「単細胞」と悪口をいう人も一部にいるが、彼らが法学あるいは心理学なども一緒に専攻していれば、彼らに対する社会一般や企業の評価は格段に上がるであろう。

吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』集英社新書、二〇一六年。
Fowler, Elizabeth. M., “Careers; Dual Majors Are Gaining Popularity,” New York Times, 4 September, 1990.
Teagle Foundation, “Double Majors: Influences, Identities, & Impacts,” Vanderbilt University 2013.

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