経済学部は必要なのか(66) 経済学部を縮小せよ


経済学部を縮小せよ
 前章までは経済学教育の問題点を論じてきたので、ここからは私の改善方法を提案したい。本章の提案は二つある。第一の提案は経済学部の教員から強い反対が予想されるもので、直ちに実現するのは困難かもしれない。第二の提案は反対者が相対的に少なく実現可能性が高いものの、大学と学生の双方に多くの努力を要求するものである。
提案内容に入ろう。第一の提案は、「経済学部の数や定員を減らせ」というものである。ここまで議論してきたように、ほとんどの学生は経済学を学んだからといって、社会に出て特別役立つ知識を身に付けるわけでもない。職業として経済学の知識を大いに使う者は、上位経済学部の卒業生の一割もいないだろう。ある程度使う者でも、せいぜいしっかりした入門レベルの経済学(あるいは米国ビジネス・スクールの経済学)の知識で十分だと推察される。ならば経済学部に所属する必要はなく、他学部に所属し教養科目あるいは必修科目として、入門レベルの経済学科目を数個履修する程度で間に合うだろう。
 個人の利用可能な時間は有限なので、それを教育でいかに有効に使うかは十分に検討されなければならない。二十歳前後の青年の時間は特に貴重で、それを有用性の低い知識の習得に使うことは不適切だ。現状の何十という経済学部は不要だろう。経済学専攻の学生を減らし、減らした分をもっと有用な分野に振り向けるべきである。そしてそこでは若者が、問題の解明・解決に熱中して創意工夫を重ねられるようになる教育をすべきだ。一人ひとりに研究心を育成する教育が望まれる(荒井、二〇〇四)。
 経済学が日本社会にとって真に有用な知識を生み出し、それを若者に教えるならば、その社会的貢献は大きくなり、経済学専攻の学生数を減らさなくてもよいかもしれない。たとえば、経済学が市場のみならず企業や公的機関の組織効率を高める方法を解明し、経済学部生がそれを習得して、就職後に組織の効率性を高めるのに大いに指導力を発揮すれば、経済学の社会的貢献はきわめて大きいであろう。組織の生産性が上がったり不祥事や不愉快な人間関係が消滅したりするからである。しかし、今日の経済学にこうしたことは期待できない。
 批判はあろうが、ここまでの議論より、政府は理系教育を重視する政策に向かわざるをえない、と私は考える。実際のところ、人工知能の活用などによって産業構造の転換が現在進行中で、技術者・理系人材に対する需要が多くの産業で高まっている。経済産業省はIT分野の人材が二〇三〇年に約五九万人不足すると試算しているようだ(日本経済新聞二〇一八年九月二九日夕刊)。さらにいえば、日本には世界的に顕著な業績を挙げている理系学部があるのに対し、そうした文系学部は存在しない。この歴然とした差やノーベル賞や産業の実績から、日本の文系分野はたいへん見劣りがする、と多くの人が認めるだろう。
どの理系学部の定員を増やすかは、すべての大学や政府が考えるべき課題であるが、伝統的分野のほかに、人工知能・データサイエンス・ロボット・生命科学・健康・医療などが、有力候補として多くの人の頭に浮かぶであろう。それらの分野でも、教員・研究者が学生に知識を習得させるだけでなく、有望な研究対象や手法を独自に開発して、新知識を生み出し続ける必要がある。学生も卒業後にそれを使って仕事ができるだけでなく、研究心を発揮して創意工夫をし続けなければならない。

荒井一博『脱・虚構の教育改革』日本評論社、二〇〇四年。

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荒井一博のホームページ
http://araikazuhiro.world.coocan.jp/
 




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