経済学部は必要なのか(58) 優れた市民を育成する経済学教育を


優れた市民を育成する経済学教育を
 本章は経済学の内容や経済学教育の問題点を検討してきた。繰り返し強調すると、新古典派経済学のように、社会の一部分の効率性のみを論じることはきわめて危険である。なぜなら、一部分の効率性を高めることによって、他の部分の効率性を損なうからだ。経済社会の一部分のみに焦点を当てた研究は社会的に誤った結論に到達し、その教育を通して多数の人間の思考を誤らせる。
多くの場合に、一部分の最適化は全体の最適化に寄与しない。二つの関数の和を最大化する点は、それぞれの関数を最大化する点と異なる。脳卒中や心筋梗塞の予防のために血圧を下げる努力ばかりしていると、癌や急性腎障害を誘発する確率が高まってしまう。人間にとって重要なのは体全体の健康であるように、経済社会にとって重要なのは、そのすべての部分を考慮した全体効率性にほかならない。
経済学徒にはエゴイストが多い、という実験結果が報告されている(Marwell and Ames, 1981)。エゴイストが経済学部に引きつけられることも考えられるが、種々の実験結果を総合すると、経済学部がエゴイストを生産しているといえそうだ(Frank, Gilovich, and Regan, 1993; 荒井、一九九七)。私利追求が資源配分の効率性を生み出すという教育を受ければ、多くの人間はエゴイストになり、他のエゴイストに対しても無批判的になろう。
今から一世紀半も昔に、ジョン・スチュアート・ミルが、これと関連したことを学生に述べていて興味深い(ミル、二〇一一)。「経済学を学んだところで、諸君が、もともと利己的あるいは冷酷でない限り、決して利己的で冷酷な人間になることはありません。」と彼はいう。特に実験を行ったわけではなく、自分の経験だけからこう述べているのであろう。新自由主義に取り付かれた今日の社会をミルが観察していれば、反対のことを述べた可能性がある。
本章の考察より、今日の経済学教育は優れたリーダーや公共心のある人間を生み出さないことが理解できよう。現行の経済学教育が人間を倫理的にすることは絶対にありえない。経済学教育は他者を裏切るエゴイストを生み出す傾向が強いのだ。経済学者には、日本の現状や将来を心の底から心配する者がきわめて少ない、と私には思われる。「我こそが日本を支える」というような雄志のある人間を、今日の経済学教育が生み出すことは不可能だ。
すでに触れたように、大学の目的は「すぐに役立つ教育」をするのではないという人が少なくない。今日の経済学教育は、それどころか「永遠に役立たない教育」いやむしろ「害を生み出す教育」を、ほとんどの学生に対して行っている、といえるのではなかろうか。
 現状の経済学教育を存続させることは、わが国の資源配分を効率的どころか非効率的にする。市場だけでなく、組織・家計(家庭)・政府・学校・地域社会を含む経済社会全体の効率性を考える経済学、さらに将来世代も考慮し、文化や自然の活用法に関する分析も行う経済学の構築が必要不可欠だ。それを基にしてはじめて、優れた市民を育成することが可能になる。

荒井一博『終身雇用制と日本文化-ゲーム論的アプローチ』中公新書、一九九七年。
ミル、ジョン・スチュアート『大学教育について』(竹内一誠訳)岩波文庫、二〇一一年。
Frank, Robert H.; Gilovich, Thomas; and Regan, Dennis T. “Does Studying Economics Inhibit Cooperation?” Journal of Economics Perspectives, vol.7, 1993, 159-71.
Marwell, Gerald, and Ames, Ruth E. “Economists Free Ride, Does Anyone Else?” Journal of Public Economics, 1981, vol. 15, 295-310.

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荒井一博のホームページ
http://araikazuhiro.world.coocan.jp/
 



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