経済学部は必要なのか(55) 労働市場を流動化することの誤り


労働市場を流動化することの誤り
流動性重視の労働政策には多くの重大問題があるため、ここで四つを選び出して論じたい。一番目は、失職したときに、以前と同等な仕事が簡単に見つからないことである。現実経済は新古典派経済学の世界と違って、コンビニで弁当を購入するようには仕事が手に入らない。求職者の能力や性格には多様性があるため、企業は採用に際して慎重だ。求職者も募集企業の仕事内容や雰囲気を正確に知りにくい。つまり、労働市場では情報収集に多大な取引費用がかかる。
さらに、ほとんどの企業はすでに必要な労働者を雇用しているので、失業者が企業を突然訪問して自分を売り込んでも、採用されることはほぼ不可能だろう。彼の能力がかなり高くても、すでに雇用している労働者を解雇して彼を雇ってくれることはありえない。労働市場の取引費用が高いため、企業が毎日何百人もの求職者を相手にそうすることは不可能なのだ(新古典派経済学の世界ではこれが可能)。
二番目の重大問題は、流動的な労働市場は前述のような雇用不安を招き、景気を悪化させることである。雇用に関する将来不安は貯蓄を増やし消費を減らすので、景気の悪化を生む。すると就職難や解雇が多くなり、将来不安がさらに高まるはずだ。そのために消費がさらに減る、という悪循環に陥る。日本経済が長期停滞から脱出できない基本的な原因の一つはここにあるといえよう。多くの経済学者は取引費用のない新古典派経済学に頭脳を支配されて、こうしたメカニズムが頭に浮かんでこなかった。厚生経済学の第一命題の悪影響がいかに大きいことか。
三番目の重大問題は、企業が労働者を容易に解雇できる制度をつくると、前項で触れたように、労働者の勤労意欲が大きく減退することである。明日にも解雇されるかもしれない労働者が、企業のために全力で仕事をしようか。仕事について四六時中考え、新しいアイデアを雇用企業に提案するだろうか。新古典派経済学は労働も原材料や機械と同等な投入物とみなしており、雇用される条件によって仕事ぶりの変わることがない、と単純に仮定しているにすぎない。厚生経済学の第一命題は、こうした非現実的な仮定を基礎としている。
四番目の重大問題は、先にも触れたが、労働市場が流動化して企業の成員が頻繁に入れ替わるようになると、成員間の協力が実現しにくくなることだ(荒井、一九九七・二〇〇一)。人間は長期的な関係にあるときに相互協力をする傾向が強い。終身雇用制の下では、同一社員同士の人間関係が長期に続くことが期待されるので、仕事上の協力が成立しやすくなる。組織成員間の協力こそが組織の存在理由であって、終身雇用制はそれを最大限に生み出しうるのだ。協力のない組織は市場と変わりない。
終身雇用制は企業内訓練も促進する。明日にも解雇や離職があるかもしれない社員に、企業は多額の費用を負担して訓練を施すであろうか。訓練は長期勤続が期待される社員にのみ十分に施されるはずである。それどころか、雇用が保障されていなければ、企業が訓練を施しても、社員は真剣に学ぼうとしないだろう。
人間の精神活動をともなう労働は、鋼材や半導体と根本的に異なる。両者を本質的に同一な投入物とみなすのは、新古典派経済学の大きな誤りにほかならない。ただ単に人間を物のように扱うことが非倫理的だというのではなく、人間を尊重し雇用をできるだけ保障することが組織や経済の効率性を高めるのだ。

荒井一博『終身雇用制と日本文化-ゲーム論的アプローチ』中公新書、一九九七年。
荒井一博『文化・組織・雇用制度日本的システムの経済分析』有斐閣、二〇〇一年。

コメントをどうぞ

荒井一博のホームページ
http://araikazuhiro.world.coocan.jp/
荒井一博のブログ
荒井一博のツイッター
 




コメント

このブログの人気の投稿

経済学部は必要なのか(39) 御用学者の公共心

経済学部は必要なのか(28) 勤勉で勉強好きな日本人という神話

Twitter:過去のツイートの整理 (2) 2018年(b)