経済学部は必要なのか(54) 取引費用が生み出す現象


取引費用が生み出す現象
 経済学者の思考に対する新古典派経済学の影響は甚大だ。前述のように彼らの多くには、現実離れした理論を使って、現実の経済問題に取り組もうとする顕著な傾向がある。彼らが政策提言をするときに判断基準としているのは、新古典派経済学なのだ。経済学を十分に学んだことのない人たちには、こうした提言は理路整然としていて反論の余地がないように見えよう。自由貿易論も産業の調整費用を無視した欠陥理論なのに、理路整然と見えるのと似ている。しかし、経済理論の仮定を少し現実的にすると、政策提言の内容もかなり変わる可能性が高い。
一九九〇年代以降は新自由主義の影響により流動的な労働市場が好ましいとみなされたが、筆者はこれを強く批判してきた。労働市場と結婚市場には強い類似性があるので、最初に後者を検討して問題に関する直感的理解を得ることにしよう。新自由主義の跋扈によって日本の離婚率も増えている。しかし、流動的な結婚市場は深刻な問題を生み出す。
 結婚市場が流動化して離婚率が高くなると、子供の養育・教育がおろそかになろう。シングルマザーやシングルファーザーが多数発生して、子供に十分な時間や資金を配分できなくなる。それどころか、離婚を予想して子供に対する教育投資を少なくするかもしれない。そのため、能力や倫理の面で質の高い人間が育たなくなる。子供は特定の夫婦にとって特に価値の高い「特殊資本」なのだ。
 流動的な結婚市場は夫婦の精神衛生や厚生にも好ましくないであろう。明日にも離婚があると考える個人が、安心して生活できようか。相手のために尽くしたいとも思わないだろう。共働きの場合は仕事優先になり、勤務先が遠く離れて別居せざるをえないかもしれない。
 多大な取引費用も発生する。いつ離婚されるかもしれないので、夫婦のそれぞれが、次の結婚相手の探索にエネルギーを使わざるをえない。さらに、離婚の精神的費用は甚大で、再婚相手も簡単には見つからないだろう。流動的な結婚市場は取引費用として多大な精神的・時間的・金銭的費用を生み出す。
 こうした問題を避けるためには、ある程度離婚しづらい環境を整備しておくことが必要だ。簡単には離婚できないような法制度を設定し、離婚に対して金銭的な制裁(慰謝料)を課し、社会的にも安易な離婚は好ましくないという通念を醸成しておく必要がある。結婚に関しては、スムーズな社会制度よりも、ある程度摩擦のある制度のほうが好ましい。
 労働市場も同様なのだ。そこでは労働者が費用を負担して職を探し、企業も費用を負担して募集・面接試験・オリエンテーションを行うため、多額の取引費用が発生する。また、雇用が安定していないと、労働者は勤務先の企業で特に有用な知識や技能(企業特殊人的資本)を習得しようとしないし、彼らの(企業や他の組織成員に対する)信頼・自己規制・組織忠誠心なども醸成されない。
 そのため労働市場においても、マッチング(雇用関係)が容易に解体しないための摩擦の構築が望まれる。ある程度高い雇用保障、万一解雇する場合に支払う解雇手当、政府が雇用を補助する雇用補助金などの制度が望ましい。もちろんその程度は仕事の種類によって異なりうる。
 取引費用や企業特殊人的資本や信頼などが問題となる世界では、雇用がかなり安定的になることを、筆者は荒井(二〇一七)のシミュレーション分析などで論じた。新古典派経済学の世界と違って、多少の景気変動では解雇や離職が発生しにくい。それどころか、労働者の探索費用が高いと、失業率が低くなったり社会的厚生が大きくなったりすることもある。多少は「摩擦」のあるほうが、雇用関係が安定して好ましい状態が生起するのだ。
 新古典派経済学の世界では、政府が登場して市場に介入すると、資源配分を乱して悪い結果ばかりが生じるのに対し、取引費用の存在する世界では必ずしもそうといえない。政府が雇用者数に比例した補助金を企業に支給すると、失業率が低下し社会的厚生が高まる。政府が解雇手当制度を法制化した場合も同様だ。取引費用の存在する世界では、新自由主義の世界と異なって、「小さい政府」は好ましくなく、政府がある範囲内で市場に介入するとよい効果が生じる。

荒井一博「失業率の決定要因と効率的な政策:取引費用を伴う労働市場のシミュレーション分析」『経済論集』一〇八号、二〇一七年。

コメントをどうぞ

荒井一博のホームページ
http://araikazuhiro.world.coocan.jp/
荒井一博のブログ
荒井一博のツイッター





コメント

このブログの人気の投稿

経済学部は必要なのか(39) 御用学者の公共心

経済学部は必要なのか(28) 勤勉で勉強好きな日本人という神話

Twitter:過去のツイートの整理 (2) 2018年(b)