経済学部は必要なのか(45) 経済学部の教授会カースト


経済学部の教授会カースト
 有力派閥の教員にとって大学は天国だ。多くのことが自分たちの思い通りに決まり、不都合なことや不愉快なことはまず起こらない。たとえ彼らが何かで失敗して、大きな不名誉を被りそうになったり、地位が危うくなったりしても、助けてくれる人がいる。学部長がもみ消したり、他の派閥メンバーが教授会で発言して助けてくれたりするのだ。違法行為が発覚しても助ける人がいるだろう。
 右では有力グループの特徴を大雑把に描写したが、実際にはその中に多重構造が見られることもある。順に学部長をするような上層部と、それは諦めている中下層部だ。中層部の教員は評議員になったり目立つ委員会の委員になったりする。彼らは上層部に保護されており、研究業績が悪くとも多様な便宜を享受でき、快適な教員生活を送ることが可能だ。下層部の教員は協力者で、酷い扱いを受けないだけでなく、ときには有利なオファーも受ける。
 他方、その他大勢の教員にとって、大学はあまり楽しい所といえない。ほとんどのことは彼らの関与しない所で決まってしまい、学部の意思決定に彼らの意向を反映させることはまず不可能だ。一部の批判的な教員にとっては、毎日が辛い日々になろう。特に、教授会などで彼らに不利な決定がなされるときは、たいへん辛い思いをするはずだ。
 このような教授会の生態は、中・高等学校の「スクール・カースト」とよく似ている。スクール・カーストの最も高いグループに所属していると、主張したことは通り、充実した楽しい学校生活が送れるらしい。「強めの人たちはめちゃめちゃ楽しかったと思うよ。だって何でも自分の思うとおりに進むんだから。」といわれる(鈴木、二〇一二)。上位グループのメンバーには結束力があり、クラスに影響力があるため、下位グループの生徒は彼らに恐怖心を抱くようだ。結束力や影響力を背景とする前者の権力を恐れるため、後者は嫌悪感を表立って出さないという。
 スクール・カーストと聞けば、多くの人たちが今日の学校の異様さと、日本の将来に対する不安とを感じるだろう。校長や教師陣が何とかしないのだろうかと思うはずである。ところが、今日の大学の教授会自体がカースト構造になっているのだ。中高の生徒どころか、日本の教育をリードすべき大学教員が、社会の厚生を研究する研究者が、そしてメディアで日本の進むべき道を説く啓蒙家が、中高生顔負けの教授会カーストを形成しているのである。
教授会メンバーのなかには、経済学会の会長経験者や各種賞の受賞者もいることが少なくない。しかし、彼らも教授会カーストについて沈黙しているどころか、多くはそれを都合よく利用している。「温厚な教授」という尊敬を込めたような表現もあるが、彼らは主流派に属しているか、あるいは沈黙して自らは悪を糾弾しない人だ。何十年もの間には会長経験者や温厚な教授などが何人かいたはずであるが、そのいずれも現状を問題視して教授会などで批判することをしなかったために、教授会カーストが存続しているのである。目前に展開されるこれほどの悪習を断ち切る努力をしないで後世に残すことに、恥を感じなかったのだろうか。

鈴木翔『教室内カースト』光文社新書、二〇一二年。

コメントをどうぞ

荒井一博のホームページ
http://araikazuhiro.world.coocan.jp/
荒井一博のブログ
荒井一博のツイッター
 




コメント

このブログの人気の投稿

経済学部は必要なのか(39) 御用学者の公共心

経済学部は必要なのか(28) 勤勉で勉強好きな日本人という神話

Twitter:過去のツイートの整理 (2) 2018年(b)