経済学部は必要なのか(44) 派閥の力学


派閥の力学
前回みた派閥はどう形成され策動するのだろうか。日本の大学の教授会には、何人かが同調すると意見が通りやすいという性質が見られる(必ずしも多数決原理だけの問題ではない)。そのため、自分の意見を通して自己利益を確保したいと強く考える教員は、考え方の似た他の教員と結託する誘因をもつ。こうして派閥が形成される。これらの教員は私利追求の強い意志を有するので、ある程度の研究業績を挙げていることが多い。学部長などは、このようにしてできた大きな派閥の有力メンバーが順番になる。派閥成員は根本的に強欲なのだ。
派閥は大きいほど数の力を発揮できるが、大きすぎると個々の成員に配分される利益が小さくなるので、有力な教員数人を含む適度なサイズになる。学部長が魅力的な地位である学部において、大グループの全成員が学部長になることは不可能だ。なお、多くの学部では派閥がすでに形成されているので、新規に採用された教員の一部は(暗黙の)紹介によって加入するが、当然ながら退職する者もいる。普通はこのようにして最適規模の派閥が維持されるといえよう。
 その他の静かな教員は非公式集団を形成することなく、自分の意見もほとんど表明しないで有力グループの方針に従う。彼らのなかには、口達者な者や非公式集団を作るほど活動的な者がいない。彼らは有力派閥を嫌っているが、自ら表立って反対する勇気をもたず、大人しくしてあまり酷く扱われないことを期待している。派閥が学部全体の二~三割の教員しか占めないのに全体を牛耳ることができるのは、その他のほとんどの教員がそれを黙認しているからだ。
 非主流派が形成・維持される場合も、主流派と同じようになされる。しかし、そこには学部長職などの大きな利益があまり回ってこない(非主流派がかなり大きくなると、主流派とギブ・アンド・テイクの関係を築くこともありうる)。ただ、非主流派のメンバーはある程度の人数で固まっているので、並の扱いを受けることができ、スケープゴートにされることがない。
 有力派閥にとって最も厄介なのは、その方針や策動を公の場で批判する少数の教員である。こうした教員は、派閥の一員となったり不正を黙認したりすることを潔しとしないで、自己利益を犠牲にして組織全体の観点から批判する傾向があろう。なぜなら批判すれば嫌がらせを受けるため、そうするよりは大人しい教員として振る舞ったほうが個人的には有利だからだ。
 有力派閥はさまざまな手段を駆使して、それに逆らう教員に嫌がらせを行う。他の教員ならば教授会に取り上げられない些事も、批判的な教員に限って学部長判断で議題として取り上げられることがあろう。こうして学部内で悪いイメージを焼き付けられる。批判的な教員の求める人事は、学部長が派閥内で談合し、多数の圧力を背景にして、教授会に提案することを拒否するに違いない。組織替えのときには、批判的な教員が最も不利な扱いを受けるはずだ。
福沢(二〇〇八)は秘計や徒党の背後に怨望があるとして、「凡(およ)そ人間に不徳の箇条多しと雖(いえど)も、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし。」という。大学では個人業績の差が明白になるせいか、強い嫉妬心や劣等感を常に抱いている教員が少なくない。彼らも走狗として結託に積極的に加担し、憎い教員を嫌がらせによって引きずり下そうとする。

福沢諭吉『学問のすゝめ』岩波書店、二〇〇八年。

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