経済学部は必要なのか(42) 学内政治と公共心の程度


学内政治と公共心の程度
今日の大学で教えられる経済学は、独立した個人を前提とする学問なので、それを信奉する経済学者にとっては、その考えに基づく活動が、最低限の公共心の発揮になるはずだ。にもかかわらず、彼らの学内行動はそれと似ても似つかない。学内に形成される非公式な人間関係に基づく行動がその例で、そこからも経済学者の公共心の程度を知ることが可能だ。
多くの経済学部(研究科)には、二、三割の教員からなる有力なグループないしは派閥があり、それが学部内の重要事項を実質的に決めている。そのグループのやり方を公に批判する少数の教員がいることもあるものの、多くの場合に無視されたり、問題児とレッテルを貼られて数の力で抑えつけられたりしてしまう。他の教員は有力グループの方針に黙々と従うだけだ。学部によっては有力グループより影響力の小さい別グループが形成されて、重要な件において前者に対抗する場合もある。前者は主流派、後者は非主流派とも呼ぶことができよう。
 主流派や非主流派はれっきとした非公式集団(インフォーマル・グループ)であって、教授会においてなされる重要な意思決定の前に、集団内の意思統一を行い、そのメンバーは教授会で同一歩調をとる。有力グループは学部長(研究科長)を擁しているのが普通なので、会議の前に議題内容や新情報の入手が可能だ。そのメンバーは居酒屋や学部長室などで話し合ったり、電話で連絡し合ったりして、どのような決議にもっていくかを予め決めておく。
 竹内(二〇〇七)が戦前の東大経済学部の様子を生々しく紹介している。「経済学部の多数派が形成される現場に立ち会った土方成美は、『あれは大正十四年のころだった』とつぎのように回顧している。当時の学部長の矢作栄蔵から中華料理店に招待を受けた。行ってみると、矢作学部長をはじめとして、山崎・河津・渡辺(銕蔵)・森(荘三郎)教授がいた。高野グループの上野・大内・舞出教授をはずした会合だった。そこで矢作学部長は次のようにいった。過日、高野グループの教授連の訪問を受けた。先生(矢作)が次の学部長再選を受諾しないでほしいという申し入れだった。自分たち(高野グループ)はこれから教授の入れ替えをやろうとおもっているので、先生が学部長にとどまると苦しい立場になるからというものだった。申し入れを受けた矢作は自分たちが防衛しないととんでもないことになるとおもって諸君に集まってもらったのだといった、というのである。」
 主流派のメンバーは、当然ながら教授会で提案される学部長案に反対しない。彼らは事前に情報を得て自分の意見を学部長に伝えてあり、学部長はそれを考慮して最終案を作成するからである。そのため、彼らは会議で静かなのが普通だ。教授会で学部長案に対する強い批判や反対が一部の教員から出されると、主流派メンバーがはじめて次々と口を開いて、その批判や反対を封じ込めようとする。事前に話し合ってあり、メンバーの多くが同一意見なので、その発言は自信に満ち滑らかだ。うまく封じ込めることが、そのグループ内の地位を高める役割も果たす。
 その他大勢の教員は通常ほとんど意見を表明しない。学部長案に批判や反対をすると、後で嫌がらせを受けたり、軽くあしらわれたりするからである。批判や反対をしても、決議に影響を与えることができず傷つくだけだ、と悟っているために発言を控えることも少なくない。

竹内洋『大学という病』中公文庫、二〇〇七年。

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