経済学部は必要なのか(41) 採用人事に見られる公共心の程度


採用人事に見られる公共心の程度
 経済学の根本的な目的は、あるべき経済社会を解明することである。そのため、公共の場における経済学者の言動は、本人が論文や著書などで主張する内容を体現していなければならない。さもなければ、自身でさえ実行できないことを他者に要求していることになる。ところが、そのような言行不一致の経済学者がたいへん多い。
 まず採用人事からみよう。それは学内で最も重要な人事の一つであって、学部や大学全体の利益を最大化するよう決められるべきである、と全経済学者が公式的に主張するはずだ。そしてそれに対する人事候補者の貢献は、主として彼の教育研究能力と他の組織成員に与えると予想される正負の影響によって推定されるべきことに関しても、異論はないだろう。
 しかし、組織利益の最大化という公共心を発揮しないで、一教員ないしはごく少数の教員の個人的利益を最大化するように進められる人事が実際には多い。採用人事はしばしば同一分野ないしは近い分野の教員が中心になって行われるので、その教員の個人的利益が色濃く反映される傾向がある。そのために、能力不十分の者や、他の成員に害を与えることが分かっている者を、強引に採用することが起こりやすいのだ。
 人事で個人的利益を優先しようとする誘因はきわめて強い。たとえば、人事で中心になる教員が以前から親しくしている個人を採用すると、科研などの研究資金の獲得が容易になる。個人よりもグループで申請したほうが、研究計画の採用確率や配分金額が大きいのだ。それどころか「お友達」を採用すると、職場が家族や同窓会のようになって楽しい毎日を過ごせる。
大学には近い分野の二、三人で決定できる事柄が多いことも、親しい個人を採用する強い誘因になるはずだ。大学院志願者の合否決定や、博士論文の教授会への提出の可否がその例といえよう。さらに学内政治では、一人の意見は正論でも尊重されないが、二人以上が支持する意見は無視されないという奇妙な慣行もある(意見の内容よりも人数が重要)。教授会等で同調行動のとれる親しい人間が傍にいることは、ストレスのないきわめて快適な職場を生み出す。
ちなみに大学院入試では、近い分野の二、三人の教師が共同で面接を行い、その評価が受験者の総合点のなかでかなり重視される(三人が面接する場合でも、二人の評価が高ければ、それが三人の評価になろう)。博士論文は審査のために教授会に提出されさえすれば、学則に基づく審査はされるものの、ほぼ例外なく授与が決定されてしまう。そのため、少数の推薦人をそろえて教授会に提出できることがいちばん重要になるのだ。
あまり能力のない個人を採用する際によく使われる手段は、業績リストにある共著論文の大部分は採用候補者が自分で研究して書いたものであると教授会で説明することである。場合によっては能力を偽って採用することさえないともいえない。たとえば、計量経済学の知識や業績がないのに、計量経済学を使った実証研究もできる、と教授会で紹介することがありうる。

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