経済学部は必要なのか(33) 批判精神の現実


批判精神の現実
他人の言動は批判するが、自分の言動は批判の余地だらけという人間は、批判精神のある人といわれない。他者を批判する者は、少なくともその批判に関係する自己の公的言動を整えておく必要がある。批判精神の裏側には、他者からの批判に耐えうる自己の言動を生む精神がなければならない。この精神も公共心である。批判に耐えうる言動は公共心に満ちたものであるからだ。このように、他者を批判する言動と他者からの批判に耐えうる自己の言動とは、表裏一体でなければならない。批判精神というときは、暗黙の裡に両者を含むのが普通だ。
佐和(二〇一五)は「人文社会系の学識なくして批判精神なしなのだ。」というが、ドミニク・ド・ビルパンに批判された者の学識はどうなのかを調べてみよう。イラク攻撃を決断したジョージ・W・ブッシュ米大統領は、学部で歴史学、大学院でビジネスを専攻している。ブッシュ政権内で強硬な攻撃論を展開したドナルド・ラムズフェルド国防長官の専攻は政治学、ブッシュ大統領に同調したトニー・ブレア英国首相のそれは法学だ。彼らには人文社会系の学識があった。文系出身者でも、(ド・ビルパンの批判が正しかったとして)歴史的に重要な問題に対して劣悪な(批判に値する)判断を下すことがある。
これについては、人文社会系の学識は批判精神の必要条件であって十分条件ではない、という反論も出そうだ。ならば、フォークランド紛争で内外の評価を上げたマーガレット・サッチャー英首相の例は、どう解釈したらよいのであろうか。おそらくほとんどが文系出身であった男性政治家に向かって、「ここには私しか男はいないのか」と彼らの弱腰を非難し、フォークランド諸島にイギリス艦隊を派遣したという。彼女の専攻は化学でれっきとした理系である。「ドイツの母」とも呼ばれ長期政権を続けているアンゲラ・メルケル首相は物理学博士だ。
日本の政治家の例も出しておきたい。宮澤喜一といえば政界きってのインテリで、英語や経済に強いといわれた。今日的表現を使えば、模範的なグローバル人材だ。彼は一九九一年から二年弱の間に内閣総理大臣となり、異例ながらその後で大蔵大臣も務め、平成の高橋是清といわれた。しかし、彼には優れた政治的業績がなく、批判されるべき点が多いと私には思われる。
肝心の経済では何の成果も挙げられなかった。それどころか、得意なはずの外交では騙され大きな失敗をして、世界におけるわが国の評価を著しく下げたといえよう。すなわち、慰安婦問題に関して歴史認識もなしに韓国で謝罪をくり返し、問題解決をきわめて困難にしてしまった。強制連行があったと認める河野談話が発表されたのも宮澤内閣の時だ。また歴史教科書の検定基準に近隣諸国条項を設け、中韓の意向に沿った教科書検定がなされるようになった。中国からの天皇訪中の要請を受け入れ、天安門事件による日米欧の制裁を真っ先に解除してしまったことも批判されている。これが「模範的」グローバル人材の「業績」にほかならない。
宮澤は東大法学部卒を鼻にかけ、「人に会うと学歴を聞く」といわれた。だが、彼には批判精神も批判に耐えうる言動も見られず、日本人の矜持や国を背負う使命感も感じられない。国政の指導的地位に就く年齢になっても、学歴にこだわる精神的幼稚性を示したのである。

佐和隆光「人文知、民主主義を支える」『日本経済新聞』二〇一五年六月二十二日。

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