経済学部は必要なのか(25) 不勉強を促す成績評価法


不勉強を促す成績評価法
 学生がこれほど不勉強ならば、試験を厳しくして成績不良の学生に単位を与えず、最終的に卒業させなければよいではないか、と多くの人が考えるだろう。私もその一人だ。しかし問題もある。学部全体のなかで少数の教師だけが厳しい評価をすると、そうした教師の受講者はごくわずかになってしまう。十人前後になる可能性もある。普通の教師はそれに耐えられない。
 ならば、すべての教員が厳しい評価をするように決めればよいではないか、と多くが考えるだろう。「厳しい評価」は主観的になりがちなので、実際は相対評価にして、A、B、C、D、F(不可)の各割合を決めることになる。教師になりたてのころに私はそれを学内の委員会で提唱したことがあるけれど、相対評価に強く反対する教育学者がその委員会にいて、実現しなかった(ただし、それから二十年ほど後にAの割合のみは明確に決まった)。相対評価に反対する教員に、学生の不勉強をどうするのか、また大学入試の相対評価は問題ないのかを説明してもらいたいものだ。
 たしかに相対評価は、全学生が死に物狂いで勉強しても、一定割合の学生が必ずFをつけられてしまい、不合理になりうる。しかし、実際にそんな事態が起きそうもないことは、ここまでの説明から推察できよう。私はそのような「困った事態」が起きるほど多くの学生が猛勉強する姿を見てみたいものだと思っている。万一そのような「困った事態」が生起したら、そのときは日本が世界で最も輝く憧れの国になっているはずだ。
 かつての日本の大学では、Fより上の成績で必要単位数をそろえれば卒業できたので、また企業も大学の成績を重視しなかったので、多くの学生があまり勉強しないで卒業していった。最近では、日本でもGPA制が採用されて、成績平均点がある水準以上でなければ卒業できなくなりつつある。これは好ましい制度だが、相対評価を採用しないかぎり、平易な講義や甘い成績評価の講義に学生が集中し、学生を真に鍛える充実した講義の履修者は少なくなろう。
 現在進行中の少子化のために、下位の大学は学生の獲得に必死だ。そのため、大学が相対評価をしたり厳しい評価をしたりして卒業を困難にすると、学生を集められず、定員を大幅に満たせなくなる可能性がある。そうした大学にとって、学生は「お客様」で学生に媚びることも行われがちであろう。中位以上の大学も評判を気にしなければならないので、学生は「お客様」とみなされているかもしれない。このような事態も学生の不勉強を促進するだろう。
基本的に、日本は大学在学中の学習内容や成績をもっと重視する社会に変えていく必要がある、と私は考える。卒業大学の名前ばかりが重視されて、そこで学んだ内容や達成した成績が軽視されるのは非合理的だ。中位以下の大学も、成績評価を甘くしたり容易に卒業させたりしないで、どんな能力の学生を育成するのかを明確にし、その目標に向けて学生を厳しく鍛え、社会一般に対しては卒業生の高い能力によって存在価値を示すべきである。学生を甘やかすことは、大学の社会的評価を下げることにほかならない。

コメントをどうぞ

荒井一博のホームページ
http://araikazuhiro.world.coocan.jp/
荒井一博のブログ
荒井一博のツイッター




コメント

このブログの人気の投稿

経済学部は必要なのか(39) 御用学者の公共心

経済学部は必要なのか(28) 勤勉で勉強好きな日本人という神話

Twitter:過去のツイートの整理 (2) 2018年(b)