経済学部は必要なのか(21) 質問や発言をしない学生


質問や発言をしない学生
 講義に関して学生が教師に質問できることは、きわめて貴重な特権であるにもかかわらず、学生はほとんど質問しない。次のことを知れば読者は驚くであろう。私は三十年余りにわたってほぼ毎年、二科目ほどの大教室講義を担当したが、講義中に学問内容について質問されたことは、この期間を合計しても指で数えるほどしかない。ちなみに、これらの講義では、受講生の約三分の一が経済学部に所属し、残りは他の社会科学系学部に所属していた。
次のことを知ればもっと驚くかもしれない。私はほとんど毎回の講義で(すなわち毎週)、「質問はないか」と学生に聞いて質問を促していたのである。ときには、「どんな些細なことでもかまわない」「どんな意地の悪い質問でもかなわない」「教師を困らせるような質問をしてほしい」とも伝えたのだ。しかし、学生からはほとんど何の反応もなかった。
私の講義が低質だから質問が出なかった、と読者は考えるかもしれない。しかし、私はいつも十分な準備をして講義に臨んだだけでなく、講義に関して「コメントはないか」とほとんど毎回学生に聞いて、批判も促したのである。講義内容に自信がなければ、質問やコメントは促せないだろう。批判すると成績評価で教師から嫌がらせを受ける可能性があるために批判しないと想像するかもしれないが、私はそのような「みみっちい」人間にならないよう常に努力してきたし、そもそも大教室の講義では批判した受講生の名前を知ることが通常できない。
経済学の内容は往々にして現実をかなり抽象化しているので、日常で抱く感じと異なった結論になる場合が少なくない。そのため、講義や教科書の内容を理解しようとすれば、疑問や意見はいくらでも出てくるはずであるが、学生は教室でまず表明しない。「質問はないか」といって、教師がわざわざ学生との対話を作り出そうとしているのに、空振りに終わるのだ。教師でなければ、こうした無反応な学生に教えることの辛さを理解できないかもしれない。
なぜ学生は質問やコメントをしないのだろうか。二つの理由が考えられる。一つは不勉強なことだ。不勉強ならば疑問や意見が湧いてこない。私は初回の講義で、教科書を使って予習することを強く勧めたが、実際に予習した学生は少ないと推察される。もう一つは、不適切な質問や発言をして教師に冷たくあしらわれたり、出席している他の学生に笑われたりするのを恐れていることだ。このような理由で発言を控える人間が、国際舞台で活躍できるはずがない。真のグローバル人材などは育っていないのである。講義終了直後に質問する学生も稀なことを考慮すると、第一の理由が重要なようだ。ちなみに研究室まで来て質問する学生などまずいない。
大教室講義は、教師と学生の間のコミュニケーションが成立しにくいので好ましくない、としばしばいわれるが、私はそうとも考えない。大教室でも質問や意見表明は可能だ。多数の学生が出席していて発言が多ければ、多様な考えが聞かれてむしろ興味深い。多数の出席者のために発言が多くなり、教師が対応できなくなるということは、実際には全然発生していないのである。
教師と学生の間に多くの対話があれば講義が活性化されて、学生は学問をする興奮を味わい向学心を高められるし、教師は講義の醍醐味を味わうことができよう。互いに姿の見える学生と教師の間の質疑応答こそが、インタネットを通して配信される講義と大きく異なる特徴だ。対面授業のこうした利点を、社会科学系の学生はまったく活用する気がないのである。

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