経済学部は必要なのか(20) 講義に出席しない学生


第二章 恐ろしいほどの不勉強
講義に出席しない学生
 広い知識がきわめて重要なことを前章で論じた。経団連からは、「人文社会科学系専攻であっても、先端技術に深い関心を持ち、理数系の基礎的知識を身につけることも必要」という要請がなされている(経団連、二〇一五)。他方、専門分野の知識の増大は指数関数的だ。さらに、大学図書館や市中の大型書店には膨大な数の新刊書が溢れている。こうした事態に直面する今日の大学生は、寸暇を惜しんで勉強しなければならないだろう。
 しかし、経済学部の学生は恐ろしいほど不勉強で学力が低い。文系学部廃止論争では、廃止反対派の文系擁護が前面に出て、廃止賛成派を有利にする大学生の現状がほとんど語られていない。期末試験の結果などから推察すると、受講生三百人前後の講義において、必死に勉強する学生は三%以下、ある程度まじめに勉強する学生は十五%以下といえそうだ。他の学生はほとんど勉強しておらず、試験の前に多少教科書を読む程度だと推察される。これは上位の大学の例であるが、中堅以下の大学の学生はもっと不勉強だ。
 そもそも講義に出席しない学生や、(出欠調査を行うと)出席点欲しさにいやいや出席する学生がきわめて多い。教師からみると、高い授業料を払っているのになぜ出席しない(したがらない)のか、と不思議に思われる。出席すれば科目内容がよく理解でき、勉強が容易になるはずだ。それどころか勉学意欲が旺盛ならば、できるだけ前の席に座って、教師の発する一言一句も聞き逃さないという気になろう。
 講義に出席して教師の喋り方を見ていれば、問題の要点や理解のコツや個々の概念の相対的な重要度などを感じ取ることができる。また、教科書を読めば、教師の説明もぜひ聞いてみたいと思うだろう。読んだ小説が映画化されると見たくなるようなものだ。さらに、講義に出席すれば、理解できない点を教師に直接質問することも可能になる。他の学生がどの程度熱心に勉強しているのかも分かろう。
教科書があれば、聴講せずとも自分で勉強して理解できる、と嘯く学生がいる。もしそうであるならば大学に講義は不要だ。読むべき書籍を指定し、図書館を設置しておくだけでよい。途上国でもそうすることは困難でないだろうが、それだけで学問が発展するわけではない。講義の出席率が低い事実は、多くの学生の目的が履修単位の取得であって、知識の習得でないことを示唆する。彼らには向学心がないのだ。
日本学術会議幹事会の声明が示唆する人材が育つためには、学生がきわめて強い向学心を抱いて、すさまじい勉強をする必要がある。にもかかわらず、そのような学生は今日無視しうるほどしかいない。自然・人間・社会に関して深くバランスの取れた知、あるいは一般教養を身につけようとする学生も、まず存在しないであろう。

経団連「国立大学改革に関する考え方」二〇一五年九月九日https://www.keidanren.or.jp/policy/2015/076.html

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