経済学部は必要なのか (7) 環境変化と広い知識の必要性


第一章 リベラルアーツと価値の教育
環境変化と広い知識の必要性
 「文科省は国立大学に人社系が不要と言っているわけではないし、軽視もしていない。すぐに役立つ実学のみを重視しろとも言っていない。」釈明の一環として、文科大臣は二〇一五年八月十日の『日本経済新聞』でこのように述べている。
次のような発言も見られた。「これからは、将来予測がますます困難な社会になる。社会が大きく変わる中で、単なる知識の暗記ではない、判断力や思考力、創造力といった『真の学ぶ力』が必要になる。答えのない問題に自ら取り組み解答を出す力や、リベラルアーツ教育による人間性の厚みが重要になる。」
 新しい大学組織に関しては、以下のようなある程度具体的なイメージを提示した。「法学部を出て自治体に就職したら、法学系の専門知識も必要だが、それだけでは足りない。経済学や社会学などをはじめ、広い意味でのリベラルアーツも求められる。より幅広く学ばせようという思いが、既存学部を統廃合し新学部をつくる動きに表れている。」「情報化社会に必要なのは、創造性や主体的に課題に取り組む力、コンピュータやロボットが発達しても到達できないであろう人間的な優しさや感性、慈しみなどだ。大学はそういう能力に資する教育をしているのか。」「国立文系をなくそうとは考えていない。ただ、文理融合の新学部はありうる。」
 先に引用した九月一八日の文科省高等教育局長の文書に示されている見解もこれと関連しよう。すなわち「『組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換』に積極的に取り組む努力が必要である」ことの「背景には我が国社会を取り巻く環境の大きな変化」があるという。
 これらの発言や意見に通底するのは、今日の日本を取り巻く環境の急激で大きな変化に対して、適切に対応できる教育が必要だという考え方であろう。その具体的方策としてはリベラルアーツや文理融合の可能性が考えられている。社会の変化が大きいときは、特定分野の知識の有用性も限定的になりやすいので、複数分野の知識の習得が有利だという考えだ。経済学部の視点からいえば、経済学教育だけでは、卒業生の将来はあまり有望でないということになる。
先に引用した日本学術会議幹事会の声明も、研究者が「自然・人間・社会に関して深くバランスの取れた知を蓄積・継承」すべきことを訴え、広い知識の必要性を強調していた。研究者に限らず一般に、リベラルアーツ的な広い知識は、新たな知識の獲得や未知の事態に対する適応も容易にする。また、広範な知識をもっていると、新しい問題に直面したとき、複眼的に思考してより的確な判断が可能になるはずだ。この点に関しては後の章でも議論したい。
 リベラルアーツは、中世欧州の大学における自由七科(文法学、修辞学、論理学、代数学、幾何学、天文学、音楽)に由来する。文理を含むこれらの分野を数百年前にバランスよく学んだ人間は、頼もしく信用できるとみなされたであろう。今日のリベラルアーツは自由七科と同じになりえないものの、広い視野から的確な判断が下せる能力を多くの国民に付与すると期待される。
本評論は全体を通して経済学部教育の検討を行うが、学部段階で経済学の勉強に専念しすぎることは問題かもしれない、とひとまず認識できよう。本章では、専門的な経済学教育の比較対象として、リベラルアーツや一般教養の教育を取り上げ、その意義を中心に議論を展開してみたい。このトピックは今日の文系学部廃止論争一般においても重要な論題となる。

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