経済学部は必要なのか(6) 経済学部の存在意義


経済学部の存在意義
 本評論が主たる議論の対象とする経済学部の教育や研究は、役に立つのだろうか。経済学部には存在意義があるのか。あるとすれば、その教育は金銭的便益と非金銭的便益の両方を生み出すのであろうか。また、それらは私的便益と社会的便益の両方なのか。便益がゼロでないとしても、現状ほど大規模に経済学教育を行う意義があるのか。本評論はこうした問題意識を基礎にして議論を展開してゆきたい。
 一国の経済が良好であることは、すべての国民にとってきわめて重要である。働くことによって安定的な所得が得られ、まずまずの生活ができることを、われわれは望むだろう。可能ならばある程度ゆとりのある生活をしてみたいとも感じているはずだ。職場の温かい人間関係のなかで思う存分働くことも欲している。安泰な国家や美しい環境も必要だと思うだろう。経済のメカニズムと実体に精通した公務員やビジネスマンが、政府や企業の活動を上手に展開してほしいとも願っている。こうした希望を実現するために経済学や経済学部が存在する、と多くの人たちは考えているに違いない。
 たしかに、経済学の目的は人間の物質的・精神的幸福を増進することである。しかし少し奇妙であるが、現実の経済学がそれを達成しているか否かは、必ずしも明らかでない。しっかりした法学が存在しなければ社会が大混乱になることは自明なのに、今日のような経済学が存在しなければ、社会の人々は不幸になるとか、経済の効率性が低下するとかは断定しにくいのだ。経済が長期間停滞している今の時代では特にそうである。哲学・史学・文学などの人文系の教育が生み出すとみなされている便益を、経済学教育が生み出すとも考えにくい。ここに、法学部や文学部などの人社系学部とは別に、経済学部単独の存在意義を考える理由の一つがある。
 経済学部出身者も、経済学教育の便益を実感しにくいだろう。学生時代に苦労して難しい経済理論と格闘したことは、役に立っていると感じられないかもしれない。他の勉強をしておいたほうが有益だったと思っている可能性もある。「はしがき」に記したように、経済学の教師でさえ、経済学教育の便益を指摘することは、それほど容易でない。
経済学は人社系の他分野と異なる方法で人間の幸福増進を考えている。だが、その学問的な成果や効果は分かりにくい。そのため人社系学部を一括して、存続させるべきか、廃止すべきか、あるいは他分野の教育や研究に転換すべきか、と議論することは不適切である。経済学部の存在意義は別個に議論しなければならない。経済学部が文系を代表する学部で多数の学生を擁していることは、そのような議論が社会的に見ても重要であることを示唆する。

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