経済学部は必要なのか(4) 日本学術会議幹事会の反論


日本学術会議幹事会の反論
 文部科学大臣通知に対して、日本学術会議幹事会が同年七月二三日に批判的な声明を発表した。そこには六つの論点があり、最初の三つがここでは特に重要になると考えられる。第四の論点は教員養成教育に関すること、第五の論点は人社系の教員・研究者数維持に関すること、第六の論点は人社系教員が社会に対して自身の役割を十分に説明してこなかったことであるからだ。
 同声明が最も重視していると推察される第一の論点から検討してみよう。それは、人文・社会科学に「現在の人間と社会のあり方を相対化し批判的に省察する」独自の役割があると指摘する。また、「自然科学と人文・社会科学の連携」による「総合的な知」の形成も必要だと説く。その役割に加えて、人文・社会科学には「自然科学との連携によってわが国と世界が抱える今日的課題解決に向かうという役割が託されている」という。
そして、「自然・人間・社会に関して深くバランスの取れた知を蓄積・継承し、新たに生み出していくことは、知的・文化的に豊かな社会を構築し次世代に引き継いでいくことに貢献すべき科学者にとって、責任ある課題であることを認識しなければならない」と諭す。これらを踏まえて、「人文・社会科学のみをことさらに取り出して『組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換』を求めることには大きな疑問がある」と主張する。
 この論点で注目すべきは、主役となっているのが科学者であって大学生でないことだ。そのため、バランスの取れた知を蓄積し継承することなどは、ここで学生に要求されていない。つまり、科学者が右記のような課題を担えれば問題はなく、この点に関するかぎり、声明は人社系学部廃止論に対する積極的な反論になっていないのである。
 第二の論点は「社会的要請」に関するものだ。そこでは、大学には「目には見えにくくても、長期的な視野に立って知を継承し、多様性を支え、創造性の基盤を養う」要請もあると説明している。そしてそれを見落とすと、「大学は社会の知的な豊かさを支え、経済・社会・文化的活動を含め、より広く社会を担う豊富な人材を送り出すという基本的な役割を失うことになりかねない」と警鐘を鳴らす。長期的な視野に立つ人社系の研究と教育が、多様性や創造性の基盤の一部になる、とみなされているようだ。
 しばしば「すぐに役立つ教育」を文科省等が求めているといわれる。それに対してこの声明は、「長期的な視野」で人社系の研究や教育の効果を論ずべきだという。今日の研究や教育の効果は何十年か経ってから表れるというのがその理由だ。
ならば、今日のことを考慮して何十年か前に行った研究や教育の成果を具体的に示すべきではないか。人社系学部で何十年前にこのような研究や教育を行ったので、今日の社会はこれほどよい状態になっているという顕著な具体例を示すべきである。それをしないで、今日の研究と教育の成果が数十年後に表れると主張しても、信じる人がいないだろう。そうした主張は、検証されることなく永遠に続けることが可能だ。
 第三の論点ではまず「グローバル人材」を問題にし、「そうした人材育成において欠かすことができないのは、英語などの外国語の能力とともに、我が国及び外国の社会、文化、歴史の理解をはじめとする人文・社会科学が提供する知識とそれらに基づいた判断力、そして批判的思考力である」と説いて、人文・社会科学教育の意義を強調する。そして、「現代世界において次々に生起する一義的な正解の存在しない諸問題について、学際的な視点で考え、多様な見解を持つ他者との対話を通して自身の考えを深めていく力が学生たちに求められている今、教育における人文・社会科学の軽視は、大学教育全体を底の浅いものにしかねない」と注意を促す。
 グローバル人材については後の章でも触れるが、ここでは次の点を指摘しておきたい。今日の人社系学部において教育を受ける学生のなかで、右のような知識と能力を有するグローバル人材に育つ者は何人いるであろうか。甘く推定しても、同一年齢当たり全国で百人もいないだろう。「学際的な視点で考え、多様な見解を持つ他者との対話を通して自身の考えを深めていく力」を習得する学生に関しても同様のはずだ。同一年齢層に(私学も含めて)何十万人もの学生を擁する人社系学部を用意しても、右のごときグローバル人材を育成するのはほぼ不可能なのである。
 要するにこの声明文は、人社系学部の存在意義を明確にしておらず、それの廃止や他分野への転換に反対する論理を示していない。実現不可能なことも謳っている。今日の学界を代表する十数名の研究者によって出された声明ではあるが、文科大臣の通知と同様に、あまり高い点数をあげられないのではなかろうか。

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