経済学部は必要なのか(2) はしがき


経済学部は必要なのか
「文系学部廃止論」と大学の将来
荒井一博

はしがき
こんなことを教えても学生の将来に役立つのだろうか。少なからざる経済学教師が、教室でときにこう感じているであろう。経済学のこの命題は深刻な誤解を与えるため、むしろ教えないほうがいいのではないか。こう思いながらも、教科書に記されていて資格試験にも出題されるので、やむなく教えている教師がいるかもしれない。
企業や公的機関で働く経済学部卒業者の多くは、大学で学んだ経済学があまり役立たないと感じているようである。思考力を鍛えるという点では、どんな学問もまったく無益といえない。しかし何にどの程度役立つかが問題で、経済学の勉強はほどほどにして、他の勉強をするほうが生涯全体では好ましいということはありえよう。それどころか、経済学がそれを学ぶ者の世界観をひどく歪め、彼らの行動を社会全体から見ると不適切にすることもありうるのだ。
 このように、経済学部で学んだことのある日本人ならば、少なくとも頭の片隅に「経済学部は必要なのか」という疑問を抱いている者が多い、と推察される。その疑問をより正確に表現すれば、「経済学部で今日行われている教育は本当に有用なのか」となろう。人文社会系学部の存在意義に疑念が抱かれている現在、本評論はこの疑念についてある程度一般的に論じるとともに、人社系のなかから経済学部を選び出して、その存在意義を詳しく検討してみたい。
 経済学部を特別な検討対象にする理由はいくつかある。第一に、文系学部は原理的に多様で、特に経済学部は独特の主張をする傾向が強い。第二に、経済学部は人社系のなかでも法学部と並ぶ代表的な学部で所属学生数が多い。第三に、経済学は人社系分野のなかで学問的体系化が相対的に進んでおり、その意味でも法学とともに同分野を代表している。第四に、前述のように、経済学の教育や研究の有用性が明白でない。経済学が普遍の真理を追究する科学なのかも検討に値する。第五に、「文系学部廃止論」自体が、元をただせば経済学部に発生した「新自由主義」に由来するため、同学部やその研究の特徴を知ることに価値があろう。そして第六に、私が長らく経済学部に所属して自他から得た情報を、論の展開に際して利用できる。
 本文で引用するように、「文系学部廃止論」に関する論説は、新聞・雑誌・書籍などですでにいくつか見られるが、本評論の特徴は次の点にあろう。第一に、特に経済学部を選び出して、経済学教育の実態や経済学という学問の性格を考慮しながら、その存在意義を詳しく論じている。第二に、経済学だけでなく、人文社会系一般およびリベラルアーツや一般教養の教育がもつ意義に関する議論もかなり詳しい。第三に、「文系学部廃止論」で重要となるべき教育と研究の便益を、他の論説より広くかつ分析的に議論している。第四に、多くの論者が人社系教育の有用性を力説しているのに対して、本評論は現行の経済学の教育や研究の問題点を明らかにすることを憚らない。そして第五に、そうした問題点を解決するために、日本の大学や学生は何をすべきかを提案している。
 経済学教育や経済学自体に問題があることは、多くの経済学部教員がなんとなく感じているかもしれない。しかし、マス・メディアで発言機会を与えられる経済学者は、自分の所属先の存在意義を疑問視するような意見を表明しないはずだ。そのために、多くの一般人は経済学の存在意義を疑わないであろう。本評論は、経済学部で行われている教育研究などをできるだけ虚心坦懐に観察したとき、どのようなことがいえるのかを私なりの方法で明らかにしたものである。日本の国と大学を良化するのに、本評論が多少なりとも貢献できることを期待したい。
   平成三〇年三月
                                               荒井一博

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