平成30年2月4日 誰が校則を決めるべきか

 2月1日の夕刻に憲法と校則に関するNHKのテレビ放送があった。簡単にいうと、校則を決めるのは誰であるべきかという問題に関する放送である。その放送を視聴して、校則は生徒が話し合って決めるべきだ、と考えるようになった人が多かったのではなかろうか。そう考えるよう放送が誘導しているように、私には感じられた。以下では、生徒が校則を決めるのは誤りであることを論じたい。
 校則やルールを含む制度一般は、人間の持つ価値を陽表化した(目に見える形にした)ものである。そのため、そこには文化が反映される。優れた制度は文化の優れた面を反映したもので、幸福な社会を生み出す。経済学的に表現すれば効率的な社会を生み出すといえる。
 不完全な人間を多少とも完全に近づけるための教育機関が学校であるから、不完全とみなされている人間が優れた文化を内面化していると考えることは、論理的な矛盾だ。そのため、不完全とみなされている生徒が校則を決めることは誤りなのである。校則を最終的に決めるのは学校でなければならない。教師は生徒よりも人間としての完成度が高いはずで、優れた文化が何であるかも知っているはずである。そして、学校はその生徒の教育に対して全面的な責任を負っているはずだ。そうしたことが教師や学校の条件であるからである。
 もちろん、生徒が校則に関して希望を表明することは問題ない。校則のなかには、変えたほうがよいものもあろうし、少し変えるだけで実質的な負の効果を生まずに生徒の幸福を大きく高めるものもあろう。学校は生徒の意見を考慮して校則を決めることができる。
 しかし、学校が生徒に譲歩すべきでない点も少なくない。学校はどのような髪型も自由だとすることができようか。成人である会社員でも髪型の自由度は常識の範囲内とされるであろう。服装も同様だ。学校は、次の時代を背負う日本人がどのような文化を内面化しなければならないかを考慮して、校則を決めなければならない。そして校則に関して生徒や保護者と意見を異にするときは、論理明快に学校の考えを説明すべきである。

ご意見・ご感想をご自由にどうぞ。
荒井一博のホームページ http://araikazuhiro.world.coocan.jp/
荒井一博のブログ
荒井一博のツイッター






コメント

このブログの人気の投稿

経済学部は必要なのか(39) 御用学者の公共心

経済学部は必要なのか(28) 勤勉で勉強好きな日本人という神話

Twitter:過去のツイートの整理 (2) 2018年(b)