平成30年1月1日 謹賀新年 日本社会の再構築を

 今から10年ほど前にある会合で講演したことがある。もう一人の講演者がいて、彼は技術力によって日本が世界に貢献できると主張した。その後に話をした私は、最初の講演者に申し訳ないが、日本の技術力には悲観的だと述べた。当時の社会の雰囲気や、指導的立場にいた人たちと若者の行動を観察して、将来に対して悲観的になっていたからだ。
 その10年ほど前には、劣化が進行する日本社会を告発する憂国の書『終身雇用制と日本文化』(中公新書、1997年)を上梓した。原稿を書いているうちに涙が出てきて、泣きながら書いた。
 今日に至って経済データに目をやると、過去二十数年の日本経済はまことに冴えないことが分かる。実質GDPは、バブル崩壊後の1992年から2002年までの10年間に8.1%、2012年までの次の10年間に8.6%成長したにすぎない。米国の値はそれぞれ39.3%と18.9%、ドイツは15.7%と11.8%である。日本の実績がいかに見劣りすることか。
 日本の一人当たりGDPは、2000年にOECD35カ国中で第2位となったのが最高で、2016年には第18位に転落した。米国のほぼ三分の二で、かつては先進国のなかでも貧しいといわれていた英国やニュージーランドにも抜かれてしまった。
 経済大国といわれたこともある日本であるが、今日では大きく衰退している。ごく一部に富裕者は現れたものの、貧富の格差が拡大し、若年・壮年層は全体的に貧しくなった。非正規雇用労働者が4割に達している。日本発の技術革新をあまり聞かなくなった。日本は今までに幾多の困難を克服して世界の人たちを驚かせてきたが、今日の日本にはそうした力がない。隣国に侮られる事態も生じている。
文化的劣化はもっと深刻だ。劣化した文化を回復させることは極めて困難だからである。日本社会に拝金主義が浸透し、大人は金儲けに取り憑かれているようだ。以前に述べたように、大学生の向学心は衰え志も低くなっている。日本人が大切にしてきた他者に対する配慮の文化も消えつつあるといえよう。企業経営者に覇気がなく深刻な不祥事も明るみに出ている。大学の使命感も希薄なのは以前に触れたとおりだ。私の悲観は現実になりつつある。
こうした大きな変化を引き起こした主要な原因は、1990年代に本格導入された新自由主義的な思考・政策である。規制緩和や競争の促進ばかりが強調されて、日本社会に大きな将来不安が醸成された。不安は消費の節約と危険回避行動を生み出し、経済活動の縮小と、それによる一層の不安の醸成をもたらす。自由と私利ばかりが強調されて、社会に貢献する壮大な野心を若者は抱かなくなり、他者に対する配慮は組織のなかでも希薄になってきた。経済学者は米国の真似ばかりして、日本人の幸福の増進を真剣に考えていない。
新自由主義の導入は完全な失敗であったといえよう。導入から20年以上も経つのに、顕著な効果が表れていないではないか。新自由主義は欠陥に満ちた思考で、日本社会を大きく劣化させたことに日本人は気づくべきである。
日本の再構築が必要だ。まずは、日本の社会がより良い方向に進んでいるという手応えの感じられる状態にしなければならない。その際に基本となるのは、次の二つの信念である。第一は、全体として伝統的日本文化は世界でも屈指の優れた文化であり、それを活かすような政策・経営・教育などが必要という信念だ。第二は、それとも関連するが、大きな経済格差を生む思考や政策は避けなければならないという信念である。日本は他国と比べて、歴史的に平等な社会であった。この平等が他者に対する配慮や社会に対する貢献を生み出したのである。
 今後、このブログでこうした点を敷衍していきたい。

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